ボロだけど味わいがあって大好きだった球場、父親に初めて連れて行ってもらった球場、仕事帰りによく立ち寄った球場、初めてデートした球場──。その幾多の景色は私たちの記憶の中に息づいている。いまはもうなくなってしまった追憶と哀愁のロストボールパーク。野球ファンに愛された11球場の情景を辿る。 各球場の年数は開場年と閉場年。紹介した球場はフランチャイズ終了球場。一部現存球場あり かつて東京下町にあった「光の球場」。1962年の開場式で、大毎(現
ロッテ)・永田雅一オーナーが「後楽園もびっくりだろ」と胸を張った1600ルクスの高照度で、ナイターになると、庶民的な民家が立ち並ぶ周囲から、宇宙船のように浮かび上がって見えたという。
サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地キャンドルスティック・パークをモデルに建造された大毎の本拠地。オーナーで、映画会社大映社長でもあった永田が私財を投じ建設した“夢の球場”だった。
当時としては画期的な試みが多く、内外野天然芝(内野はのち芝を撤去)、1階スタンドと2階スタンドの間のゴンドラ席、入り口から2階へのスロープはいずれも日本初。カラフルなイス席も特徴だった。スタンド下に・・・
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