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追憶と哀愁のロストボールパーク

藤井寺球場(1928年-2005年) 猛牛戦士たちの主戦場

 

ボロだけど味わいがあって大好きだった球場、父親に初めて連れて行ってもらった球場、仕事帰りによく立ち寄った球場、初めてデートした球場──。その幾多の景色は私たちの記憶の中に息づいている。いまはもうなくなってしまった追憶と哀愁のロストボールパーク。野球ファンに愛された11球場の情景を辿る。
各球場の年数は開場年と閉場年。紹介した球場はフランチャイズ終了球場。一部現存球場あり


 近鉄藤井寺駅は文教地区であり「藤井寺教材園」という、子どもたちの自然学習に使われる公園もあった場所。そんな街にプロ野球球団がやってきたのは1950年のこと。2リーグ分立のタイミングに合わせ、近鉄がやってきた。が、歓迎ばかりではなく、近隣住民が猛反発も。他球団の本拠地に遅れながら、70年にナイター設備建設方針を打ち出すと、電柱には“ナイター反対”の張り紙が並び、“うるさくて勉強できないよ〜”という文教地区ならではの抗議もあった。結局、ナイター設備の完成は84年のことだった。97年に大阪ドームが完成すると二軍の本拠地となり、2004年まで使用。06年に解体され、現在は・・・

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