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甲子園の魔物 決勝戦の魔物

【甲子園の魔物】空気圧の重さ、上がらない右手/広陵高(2007年夏)

 

夏の甲子園、決勝の名シーンをランキングすれば、必ず挙がってくるのが第89回全国高校野球選手権大会だ。劣勢の8回、佐賀北に飛び出した逆転グランドスラム──。それまで沈黙していた打線に点火したのは、可燃性の高い甲子園の“空気”だった。
著=楊順行、写真=BBM ※記録は発刊時の2016年現在


「ええか。オマエらの生きざまを見せろ!」

 広陵(広島)・中井哲之監督は、ダグアウトでナインをそう叱咤した。

 2007年、8月22日。第89回全国高校野球選手権大会の決勝である。

 開幕戦から劇的な試合の連続で勝ち上がってきた佐賀北と、広陵との対戦。7回終了時点まで、広陵が4対0とリードしていた。エース・野村祐輔(現広島東洋)は、そこまで相手に1安打しか許さない完璧な投球だ。優勝まであと2イニング……。

 センバツでは3回の優勝がある広陵だが、夏の選手権では、過去2回決勝に進出しているものの、頂点には立てていない。そこでついた異名が「春の広陵」「サクラの広陵」だ。

 準優勝に終わった1967年以来、夏は40年ぶり3回目の決勝戦。念願だった初めての選手権制覇が、すぐそこまできていた。

 だが、4対0とリードしていた8回裏。佐賀北の粘り強い反撃に遭い、信じられない──あるいは、納得のいかない──5点を失った。貯金をはき出し、優勝どころか逆に1点を追う9回表、最後の攻撃である。そこで、このまま終わってたまるか、という指揮官の熱い胸の内が口をついて出たのが、“生きざま”という言葉だった。

 中井自身は、自分で発したその言葉を覚えていないという。それどころか、そこまで45年の人生で、“生きざま”などという語句を使った記憶すらない。だが、無意識のうちにそれがこぼれ出るほど、心中がたぎっていたのだろう。

 この07年の広陵は、センバツにも出場していた。06年秋の中国大会を制し、エース・野村は公式戦14試合で防御率1.95、三番を打つ土生翔平(元広島東洋)は打率.429で4ホーマー。卓越した投打の軸を持ち、優勝候補にも数えられていた。

 だが、8強進出までは評判どおりでも、準々決勝では帝京(東京)に1対7と完敗。初回二死から5連打を浴び、うち八番打者に満塁被弾するなど2本塁打で一挙6失点、という野村の立ち上がりがすべてだった。

 中井はどうも、それが気に入らない。そこで広島に戻ると、野村がつけていた背番号1をはく奪し、かわりに6番をつけさせた。言うまでもなく、本来なら遊撃手がつける番号である。

「一挙6点の屈辱を忘れんように、ずっと背負っとけ」

 というわけだ。以来野村は、夏の広島県大会を迎えるまでの練習試合では、ずっと6番のままマウンドに立つことになる。だがエース番号のはく奪は、中井の思惑どおり、野村に火をつけた。

 夏の前に取り組んだ新球は、90キロ台後半のスローボール。小学生並みの球速でも、ストレートと腕の振りが同じため、打者はタイミングをとりづらい。また、目で山なりの軌道を追うと、どうしても次の球への目付けがぶれる。さらにゆるい球に対しては、打ち損じてアウトになるともったいないという打者心理が働くから、なかなか手を出しにくい。カウントを整えるのに、なかなか有効なボールだ。

 バッテリーを組む小林誠司(現巨人)も、こんなふうに語っている・・・

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