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高校野球不滅の名勝負 伝説の夏回顧

2004年夏の甲子園回顧 ベスト8の5校が東日本勢。甲子園初白星を挙げた駒大苫小牧が勢いに乗って北海道初の栄誉に

 

済美の春夏連覇なるかが注目を浴びた2004年夏。決勝としては史上最大の打撃戦となり、興奮のうちに幕を閉じた大会を総括する。
写真=BBM ※記録は発刊時の2014年現在

打撃戦に象徴される豪快な野球で頂点に立った駒大苫小牧。優勝を決めた直後は感極まり、涙が止まらない選手も


 04年夏、甲子園で戦った5試合で挙げた得点は43で、チーム打率は.448。圧倒的な打線の迫カで、駒大苫小牧が北海道勢として初めて全国の頂点に立った。春夏合わせて5度目の出場ながら、意外にも勝ちゲームはこの大会が初めて(初戦=2回戦の佐世保実戦・7対3)。過去の実績、さらには他地域との競技環境の差を感じさせない、たくましさを漂わせての優勝だった。

 さかのぼることこの1年前、駒大苫小牧は倉敷工を相手に8対0と一方的にリードを奪いながら、降雨によって試合が打ち切りとなり、翌日の再試合で敗れている。その悔しさを忘れることなく、33歳と若い香田誉士史監督とともにチーム一丸となって積み直ねてきた時間がきちんと結果に出たというべきだろう。駒大苫小牧ナインからは、北海道の球児にありがちだった勝負への淡白さが微塵も感じられなかった。

 この大会ですっかり全国に広まった「1番」ポーズは、マウンド上に集まった時だけでなく、常日頃から「1番を目指す」という意識づけであり、日常の中での習慣でもあった。練習においても、香田監督は時に雪の中でノックを行い、甘えや言い訳を許さない空気をチームに植え付けた。暑さに弱いとされる北の少年が、1年でもっとも暑い時期の甲子園で勝ち上がっていった背景には、そうした努力があった。

 決勝で敗れた済美も、最後まで勝利に貪欲な姿勢を見せた。上甲正典監督に率いられ、創部3年目にしてこの年のセンバツを初制覇。校歌に出てくるフレーズから「やればできる」旋風と話題になり、この夏も優勝まであと一歩に迫った。しかし、駒大苫小牧投手陣が岩田聖司、鈴木康仁と左腕2人で回していたのに対し、済美は2年生エースの福井優也1人に頼らざるをえず、決勝ではカ尽きた感があった。

 1年前の夏に2年生エースとして常総学院と渡り合った東北・ダルビッシュ有も話題を集めた。150キロ台の速球は1球もなかったが、マウンド上の不敵な表情は、のちにプロで活躍する姿を想起させた。横浜のエース涌井秀章、秋田商の佐藤剛士ら、高評価でプロに進んだ投手がそろった大会でもある。

 そのほか、本塁打が前年の13本から大幅増の33本。二塁打も前年の124から174と大きく増えた。チームでみると・・・

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