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引退惜別MEMORIAL

ロッテ・福浦和也インタビュー 幸せな千葉での26年――。 「ファンの大きな声援と日本一の応援、多くの人の支えがなければここまでやることはできなかったです」

 

ついに最後の時を迎えた“幕張の安打製造機”。首位打者に輝き、6年連続3割をマークしたバットマンは、チームを2度の日本一に導き、2000安打にも到達した。引退惜別特集の最後は、千葉で誰よりも愛された生粋のフランチャイズ・プレーヤーが、26年にわたる“幸せな野球人生”を振り返る。
取材・構成=杉浦多夢 写真=榎本郁也、馬場高志(インタビュー)、BBM

9月23日の引退セレモニーでは仲間たちの手で背番号と同じ9度、幕張の空を舞った


野球の神様の微笑み


「最後は(野球の)神様がいた」。井口資仁監督はそうつぶやいた。

 9月23日、ZOZOマリンでの日本ハム戦。今季限りでの引退を表明していた福浦和也のラストゲーム。選手、監督・コーチ全員が敬意を表して福浦の背番号「9」を着用する中、「七番・DH」でスタメンフル出場を果たした“幕張の安打製造機”は、4打席ノーヒットとバットで快音を響かせることはできなかった。

 しかし9回、DH解除で一塁の守備に就くと、最後に魅せた。圧倒的なバットコントロールとともにゴールデン・グラブ賞3度受賞の柔らかなグラブさばきは代名詞の一つ。二死一塁から益田直也のけん制で久々となるボールの感触を確かめると、平沼翔太の放ったライナー性の打球が一塁の横を鋭く襲った瞬間、福浦の体が軽やかに舞った。ボールは吸い込まれるようにファーストミットへ収まり、背番号9の26年にわたる現役生活の幕が下りた。

 引退セレモニーを用意していただいただけではなく、試合にもスタメン出場させていただきました。本当に感謝の言葉しかありません。クライマックスシリーズ出場が懸かった大事な試合だということもあって、出場しなくてもいいと思っていましたし、試合の前日に井口監督から連絡をもらい「明日はスタメン出場」と言われたのですが、最初はお断りしたんです。でも、当日に球場へ入ると、また当たり前のように「スタメンで行くから」と言われて。そこでようやく踏ん切りがついて、「分かりました、ありがとうございます」とお伝えしました。

 スタメンで使ってくれた監督や声援を送ってくれたファンのためにも期待に応えたかったのですが、やはり甘くはなかったです。日本ハムの投手たちも真っすぐ中心で勝負してくれていることは分かっていたのですが、打てなかった。もう少しいい当たりができるかなと思っていたのですが、厳しかったです。これが今の実力なのだと思います。年齢を重ねるごとに体が動かなくなっていったのは確かですし、それでも何とかしようと努力する日々でした。最後の試合に出る出ないに関わらず、バットを振れる状態には持っていきたい、振らないで見逃し三振が一番カッコ悪いと思っていたのですが、努力が足りなかったのかなと思います。

 最後の9回はファーストを守らせていただき、3アウト目がミットに収まりました。二死までは守備機会がなかったのですが、益田(益田直也)がけん制を入れてくれたときはちょっとウルッときましたね。益田とキャッチャーの田村(田村龍弘)が何とかファーストのほうへ打たせようとしてくれているのは分かっていたのですが、まさか本当に最後にライナーが飛んでくるとは。体がとっさに反応して捕ることができました。さすがにあれをそらしていたらまずかったので、何とか捕ることができてよかったです。

 ウイニングボールは記念にいただきました。最高の思い出になると思います。何よりチームが勝利をつかみ取ってくれて、本当にうれしかったです。

 最後はライトスタンドのファンの前でロッテ名物の「WE ARE」のコールをすることができましたし、セレモニーのスピーチで自分の思いを伝えることもできました。ファンの大きな声援と日本一の応援、たくさんの人たちの支えがなければここまでやることはできませんでした。そんな皆さんへ感謝の気持ちを伝えたいと思っていました。ただ、風がすごく強くて・・・

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