背番号34を背負った国鉄時代の金田氏
金田正一が亡くなった。86歳だったから私より2学年下にあたる。
まさに不世出の投手だった。
剛速球がうなりを上げた。もうひとつ、大きなカーブを有効に使っていた。デビューした当時は、本当に速い球を放っていて、あの“打撃の神様”
川上哲治さんが苦手にしていたほどだった。400勝投手というのは今後出てこないと思うが、それを達成できたのも、ローテーションという概念が彼にはなかったからだ。
先発投手のローテーションは、多民族国家のアメリカが平等主義の理念の下に取り入れた起用法だが、金田はそれを鼻でせせら笑うように、勝ち星を独占していった。
たとえば、昔は、日曜日になるとダブルヘッダーがよく組まれていた。第1試合に彼が先発して完投勝利。第2試合に国鉄の投手が勝利投手の権利を得る寸前で、自分がマウンドに上がっていって他人の勝利をも奪ってしまう。それだけの才能、力があったということだ。
だから、これが私とは違うところだが、ほかの・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン