どんな選手であっても、プロへの道程において多くの教えを授かった「恩師」と呼ぶべき存在がある。高卒2年目にしてフル出場で36本塁打。1953年の怪童・中西太(西鉄)と並ぶ歴史的な快挙を成し遂げた左のスラッガーの原点を、熊本・九州学院高の坂井宏安監督が振り返る。 取材・構成=岡本朋祐 写真=BBM 立派なものですよ、シーズン184三振(歴代4位、日本人歴代最多)。私が見ている限りでは、空振り(三振)が多かったと思いますが、全143試合に出場して、3月の開幕から9月の最終戦まで、当てにいかない姿勢を貫いた。褒めてやりたいと思います。私は極端な話、凡打も三振も一緒だと思っています。バットを振らなければ、何も始まらないですからね。フルスイングしなければ、相手バッテリーへのプレッシャーにもならない。
スワローズというチームにも恵まれました。普通なら外されてもおかしくない状況でも、
ヤクルトの小川(
小川淳司)監督は使い続けてくれた。ホームラン(リーグ3位の36)と打点(同3位の96)があったからでしょうが、コーチを含めて感謝しかない。チームの皆さんに育てられたと言っていいです。
活躍の裏付けとして、村上の人間性も大きかったと思います。その背景として、家庭教育が行き届いていました。礼儀正しい。先輩方に対して、なれなれしい部分を見せることもありますが、人懐っこさが出ただけ。人好き。長いシーズンで当然、浮き沈みがありますが、周辺の環境に支えられたのも間違いない・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン