どんな選手であっても、プロへの道程において多くの教えを授かった「恩師」と呼ぶべき存在がある。2016年秋のドラフトでDeNAから支配下指名87人中84番目となるドラフト9位で指名され、プロのトビラをたたくと、3年目の今季は一軍に定着し、四番にも座った。そんな和製大砲の大学時代を明大・善波監督が回顧する。 取材・構成=滝川和臣、写真=BBM 佐野恵太と初めて会ったのは、彼が高校3年の5月ごろだったでしょうか。
広島・広陵高へ練習を見学に行って、そこでティーバッティングをしていた。第一印象は、やはり打撃に目が留まりました。ヘッドを効かせた特徴的なスイングで、インパクトも強かった。そのときは捕手をやっていて、肩も強いし、大学でしっかり技術を磨いていけば良い捕手になると思いました。
明大には捕手として入学しました。まあ、のちに伝わってくるんですが、当時は捕手をやりたくない、という気持ちは伝わってこなかった(笑)。タイプ的には、人に偉そうな態度を取るようなこともなく純真な性格。でも悪い言い方をすれば、はっきりしない一面もあった。自分の中にあるものを表現することがうまくないというのでしょうか。捕手の件もそうでした。
捕手としては、一つ上の学年に
坂本誠志郎(
阪神)がいて、なかなか出場機会には恵まれなかった。でも佐野の打撃は秀でていたので、2年の途中からは一塁も守れるようにして、何とか彼の打撃を試合で使いたかった。ポジションに関して、自己主張は少なくて、こちらの指示どおりに動く感じでした。誠志郎がプロに進み、3年の終わりにもう一度捕手に挑戦してみたらどうだ、と言ったんです。本人は強くプロを志望していて、だったら捕手ができるのが一番のプロへの近道だと伝えていたんです。
左のスラッガーはたくさんいるし、ちょっと打てるだけではプロでは指名してもらえないよ、と。でも佐野はずっと煮え切らない態度。いくつかのやり取りがあった後、最後に彼から「監督はそうおっしゃいますが・・・
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