監督と主砲として、西武の2年連続日本一を成し遂げた
田淵幸一が殿堂入りを果たした。あの男は、根は正直そのもの。人の善さでは田淵の右に出る者はいない。
1979年に
阪神から西武にトレードされた。私が82年に西武の監督に就任するにあたって、前任の
根本陸夫さんから「今度、うるさいヤツが来るので、体を作っておけ」と言われたらしい。
阪神時代には、
王貞治の14年連続本塁打王を阻止する43本を打ってタイトルを獲得したが、それまでの田淵は打てればいいと思っていた。私は田淵をつかまえて「お前もいつかは指導者になる。打つだけではなく、走塁、守備を自分がきちんとやっていないと教えられない。後悔するよ」と諭した。田淵は「分かりました」と言って一生懸命にやった。
西武で初めてリーグ優勝したとき(82年)、ベンチの中で・・・
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