阪神・近本光司が、1学年下ながら「師匠」と呼び、プロに入っても絶大な信頼を置く元学生コーチだ。出会いは近本が2年生のときだった。現在でも植松弘樹氏が自主トレの練習メニューを考案するなどサポート体制は続く。「今の僕は植松によって作られました」と近本。2人の二人三脚の日々を回顧する。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM、関学スポーツ編集部提供 1学年上の近本(近本光司)さんと初めて話したのは、大学1年生の冬でした。当時、近本さんも私もケガをしていたので、ケガ人が鉄棒のある場所に集められ、体幹のメニューをこなしていました。私は小豆島出身で、近本さんが淡路島出身。「お互いに島出身やな」という会話をきっかけに今日の関係が始まりました(笑)。
私は県立の小豆島高校出身。香川県は野球留学を受け入れる強豪私学校が多く、われわれのような中学時代からのチームメートがほとんどの島の高校は、夏の大会で1回勝てば「本当によくやった!」と言われる環境でした。
その常識を覆したのが、当時小豆島高校野球部を率いていた杉吉勇輝監督でした。杉吉監督は慶大野球部出身で「ENJOY BASEBALL」を掲げる中で「普通に練習してもどうせ勝てないんだから、頭を使って野球をしようぜ」がチームの方針。そこで私たちはプレーの質を上げるための知識や、視点を変えて根本から、野球の歴史を学んでいきました。
それ以外にも杉吉監督が、当時香川県の藤井高野球部の監督だった小林大悟監督に頼み、合宿に参加。ウエート・トレのメニューを組んでもらい、そのトレーニングの意味や、効果を最大限に出すための、栄養の取り方、休息の取り方も教わりました。現IWA ACADEMYのチーフトレーナーで杉吉監督の大学野球部時代の先輩後輩の間柄である木村匡宏さんを学校に招いて一人ひとりに合った、パーソナルトレーニングを採り入れたりしていました。
そういう取り組みをしていく中で・・・
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