プロ6年目の昨季、絶対的クローザーとしてチームトップの68試合に登板。38セーブをマークし、パ・リーグの最多セーブ投手に輝いた。桐光学園高では、高校2年夏の甲子園で、大会新記録となる22奪三振を記録したサウスポーだが、選手としてのピークはもちろんそこではなかった。選手にとって大事な成長過程である高校3年間を見守った野呂雅之監督に、当時を振り返ってもらった。 取材・構成=富田庸 写真=BBM 高校を卒業して、右も左も分からない世界に飛び込み、チームでは2年目から抑えというポジションに定着することができました。年数を重ねるごとに体つきもしっかりしてきましたし、マウンドでは肌で感じる勝負勘と言いますか、そういった部分は雪だるま式に増えているように感じています。大きな故障もなく調整しているようですし、順調に来ているのではないでしょうか。
松井を初めて見たのは、彼が中学生のときでした。ウチの学校からも近い横浜の青葉緑東シニアに所属しており、同チームからウチに来てくれる生徒もいて、「後輩に能力の高いサウスポーがいます」と聞いていました。そして試合の観戦に行ったのが最初の出会い。試合で投げていたのは独特な大きく割れるカーブなのか、スライダーなのか……。とにかくその印象が強かったですね。
高校は15歳の子をお預かりして、18歳で送り出すわけです。私は40年近くこの学校で高校生を指導しているわけですけど、この年代の子たちの体がどのように変化していくのかは分かりません。青写真を描いても、そのとおりにいくことはなかなかない。だから、その子がいかに力を出せるかに重きを置いて指導しています。松井は身長を含めて、急激に体が大きくなるようなタイプではありませんでした。ただ・・・
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