先ごろ亡くなられた野村克也氏。本誌では連載の寄稿をお願いしていたが、独特の話術で、時に辛口に時にユーモラスに語る対談、座談会でも、また違った魅力を見せてくれた。これは平成のプロ野球をまとめた1冊の中で、野村さんのヤクルト監督時代の愛弟子、池山隆寛さん、内藤尚行さんと座談会を行ったときの記事だ。 取材・構成=、写真=BBM ヤクルトで驚いた誰も頭を使っとらん!
池山&内藤 こんにちは、監督!
野村 ヤクルトの3バカがそろったか。
池山 いえ、監督、2バカです(笑)。
野村 お前たち、俺の葬式には来るのか。
内藤 何を言ってるんですか! 早いですよ! もちろん、行きますが(笑)。
──話がいきなり逸れそうなんで戻します(笑)。野村さんがヤクルトの監督に就任。それを聞いたときの気持ちは。
池山 監督になられる前に、サンスポの一面になりまして、そこで「タレントはいらん」とあった(笑)。間違いなく、僕のことでしょう。あのときは、「どんな監督なんだろう」の前に、キャンプに行くのが嫌だったんですね。
野村 会って一番最初に言ったのは、「ブンブン丸、ブンブン丸って言われ、いい気になってんじゃないか。チームと監督が迷惑するだけだからな」だったな。結局スタンドプレー。俺は、そういう野球が大嫌いなんだ。ただ、池山は性格がよかった。だから自分を変えようとした。こいつは違うがな(内藤氏のほうを向いて)。
内藤 いやいやいや!(笑) そんなことないですよ。僕はあのとき、あるテレビ番組で、「野村さんが監督に就任しますが、どう思われますか」と聞かれ、「野村さんと言えばミーティング、ミーティングと言えば眠くなる」と答えたんですよ。そしたら、どこかでそれを見ていたか聞いていらっしゃったようで、ユマの最初のミーティングで、いきなり怒られました。いまだに広澤(
広澤克実)さんに、「お前が監督に一番最初に怒られたんだぞ」とからかわれます(笑)。
野村 よう覚えてるな、どうでもいいことを。
内藤 いやいやいや、僕にとってはどうでもいいことじゃないですよ! あのミーティング、「お前たちに俺の財産をやる」(野村風)と言われ、めっちゃ、張り切ってノートに書いていたのに、いきなり、「ええ! 俺」って(笑)。
──監督(野村氏。以下同)、就任の話を聞いたときは、どう思われましたか。
野村 俺はパ・リーグの人間だからね。セ・リーグから話が来るなんて想像もしなかった。ヤクルトの相馬和夫社長が突然家まで来て、「来年から監督をやってもらおうと思い、お願いに来ました」と言うから、「僕はパ・リーグの人間ですよ」といったのは覚えている。
──池山さん、ユマ・キャンプで実際に指導を受けた印象は。
池山 練習自体は厳しいというわけではなかったんですよ。グラウンドに出たら、やることはやれ、という感じかな。
──監督就任時、このチームで優勝できるという気持ちはありましたか。
野村 そんなのまったくない。監督を引き受けるときも、「即優勝しろというんですか」と最初に聞いた。それなら断ろうと思ったんだ。そしたら「5年くらいかけて優勝を争えるチームに」というから、「だったらやりましょう」と。
──力のある選手はいたと思いますが。
野村 前の監督とまったく野球観が違うんで、選手は戸惑ったと思うけど、最初、選手がどう野球を認識しているかが一番気になった。野球は頭のスポーツだと思っているからね。1球投げて休憩、1球投げて休憩でしょ。こんなに間(ま)の多いスポーツはほかにない。何を意味しているかと言えば、そのあいだに考えなさい、次のプレーを準備しなさい、ということ。備える時間、考える時間を与えられているのが野球なんだ。それがヤクルトに来たら頭を使っているのなんて誰もいない。池山、広澤を筆頭にな。分からせるのが大変だった。
池山 いやあ(汗)。
野村 野球は個人成績もあるけど、団体競技。勝つためにみんなで頑張らなきゃいけない。その点、アマチュアは一つにまとまりやすいよ。プロは自分がかわいいし、成績が給料にはね返るから、団体競技でありながら個人競技になりがちなんだ。それが監督の難しいところだね。
──三振を怖がらず、フルスイングしていた池山さんが、監督とぶつかるのではとも思っていました。
池山 ぶつかるというのはなかったですよ。監督と選手ですしね。ただ・・・
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