どんな選手であっても、プロへの道程において多くの教えを授かった「恩師」と呼ぶべき存在がある。大学、社会人を経てドラフト2位でDeNAに入団した神里和毅。ベイスターズのリードオフマンを務める26歳の土台は夏の甲子園にも出場した糸満高で形成された部分が大きい。故郷・沖縄の恩師が当時を振り返る。 取材・構成=仲本兼進、写真=BBM 私は糸満高の出身で、そのころからいつかは監督になって糸満を甲子園に行かせたいという思いでいました。教職に就き、中部商高で監督となって2度甲子園に行った後、転勤で母校に戻ることとなり、優秀で意欲の高い子を結集させて戦力アップを図ろうと南部(島尻学区)の中学校を熱心に回っていました。それで2008年、
宮國椋丞(現
巨人)と島袋陽平のバッテリーを中心に能力の高い選手に来てもらって、10年夏には沖縄大会決勝までいったんですが(春夏連覇の)興南高に敗れ、甲子園に行くことはできませんでした。
その次の年代がいわゆる“神里世代”になるんですが、実は神里の存在を知るのは中学ではなく、高校のときからだったんです。彼は(南風原町の)南星中出身で、当時僕は足繁く学校に通い、遊撃手の宮城知秀と投手の宮城拓幸に目をつけていました。熱心に誘って2人は後に糸満に来てもらったわけなんですけど、入学したとき南星中出身の選手だけを呼び寄せたら、2人のはずが3人いたんです。「えっ!?」となって、思わず「君は誰?」と聞いたら・・・
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