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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

短期連載ダンプ辻コラム 第6回「ミットの音と、高木守道さんの怒りのタッチ」

 

盗塁王3回の高木守道さんにも意外な盲点が……


カークランドのミット


 大変なことが起きました。何があったか分かりますか? え、分からない? そりゃそうでしょうな。僕自身、想像もしてなかったんで。

 実は、江夏(江夏豊)から携帯に電話があったんですよ。この連載を読んだと言ってね。あいつから電話もらったなんて初めてです。番号も入ってなかったし、知り合いの声に似ていたんで、3分くらい間違ったまま会話をしてました(笑)。

 今回は何を話しましょうか。ミットの音? う〜ん、地味な話になりますが、大丈夫ですか?

 ミットの音についてほめてもらうことは何度かありました。大洋時代ですが、一度、日本テレビさんに取材されたこともあります。

 あのとき、キャッチャーの捕球音を拾うため、球場のネット裏の下のほう、僕らにしたら真後ろに集音マイクを置き、比較したらしいんです。そしたら僕のミットの音が一番よかったということで、担当の人から連絡があり、僕の家に、アナウンサーの徳光和夫さんが取材に来るという。えっ、ほんとかな、と思っていたら、ほんとに来てびっくりしました(笑)。そこで、使っていたミットや、僕の手のひらを見ながらインタビューを受け、当時、僕は柴犬と九官鳥を飼っていたんですが、徳光さんが、それを見て、少々遊んでから帰られたのも覚えています。

 もともとは、別に音をよくしたいと思っていたわけじゃないんですよ。手が痛かったんで、どうしたらいいか、いろいろ考える中で、自然とそうなっていました。

 昭和40年(1965年)くらいから、3年間、ひたすらブルペンで球を捕っていた話はしましたよね。ほとんど一人だったんで、毎日500球から600球は受けていました。

 ミットもいろいろ工夫しましたよ。千枚通しで紐(ひも)をほどきながら分解して、中のパンヤ(綿)の量を調整したり、柔らかくして入れ直したり、革をはさんだり。3年間で3つミットをつぶしたかな。まあ、とんでもない数、捕ってますからね。いろいろやっていくうちに捕り方も少しずつはうまくなるし、パチンといい音を出せば、ピッチャーも機嫌がよくなるし、という感じでしょうか。

 ミットと言えば、カークランドという選手を知ってますか? そうそう、いつも爪楊枝をくわえていた外国人選手です。昭和43年(1968年)に入ったんですが、あの人が外野を守っているとき・・・

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