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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第2回「ドラフト外1位?で中日入団」

 

西武時代の平野


恩師から球団に推薦


 どう? この店、美味しいでしょ。(東京都杉並区西荻南『DELI CAFE KIKU』)

 最初はヨメさんだったんですよ。お店を見つけ、いつの間にか奥さんと意気投合していた。それで一緒に行こうとなったんですが、来てみて、びっくり。奥さんが昔、埼玉に住んでいて、熱狂的な西武の大ファンだった! 聞いたら清原(清原和博)がいた時代までの応援歌は、まだ歌えるそうですよ。「俺のは」と聞いたら「ケンさん? もちろんよ!」と言われちゃった(笑)。ヨメさんとはそういう会話もしてなくて、向こうも僕を見てびっくりだったらしいですよ。不思議だよね、こういう出会いも。

 連載のタイトルで「人生山あり谷あり」とつけてもらいましたが、ほんとそうでしたよ。ただ、僕の人生はそれだけじゃなかった。いつも誰かが見てくれ、応援してくれた。だから最後に、「感謝あり」とつけました。心からそう思っています。

 前回は大学を出るとき、もう社会人が決まっていた、という話でしたよね。僕もその気でした。人生って、レールに乗った列車みたいなとこあるでしょ。ほっとけば、時刻表どおりそのままずっと決まった道を進んでいくような。

 脱線? いや、脱線じゃないけど(笑)、運命が変わったのは、この後です。僕らしいと言えば、そうなんだけど、自分から動いて変わったわけじゃない。きっかけは、正直、まったく気にしてなかったし、知りもしなかったんですが、この年(1977年秋)、中日のドラフトが失敗したらしい。要は、次から次へと断られた。契約したのは、2位の小松辰雄、3位の石井昭男、5位の秋田秀幸の3人だけ。1位の藤沢公也さんは、結局1年後に入ったけど、最初は断っていたようですしね。

 員数合わせでしょうね。「中日が地元から選手を獲る」というのが新聞に載った。今はないけど、ドラフト外ですね。この記事を見た犬山高校時代の恩師・鈴木正監督が、どう思ったのかドラゴンズに電話してくれ、「こういう選手がいるけど、獲ってくれませんか」と言ってくれた。

 僕から鈴木先生にプロに行きたいと相談したとか、そういうこともまったくないですよ。そもそも、そんなこと思ってもいなかったですしね。先生はなぜか高校時代から僕を買ってくれていて、僕のいないときチームメートに・・・

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