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動き出したプロ野球開幕は「6.19」に。続々発表される異例ずくめの「2020年ルール」

 

ついにプロ野球の開幕日が6月19日と発表された。予定よりおよそ3カ月遅れ、120試合制なら1953年以来となる。ただし新型コロナウイルスの感染はいまだ終息したわけではなく、多くの「2020年緊急ルール」を設定する必要もある。

19年広島-巨人[マツダ広島]の開幕セレモニー。今年はいったいどんなシーズンになるのだろう


無観客でのスタート


 ようやくプロ野球が前に進み始めた。5月25日、緊急事態宣言の全域解除を受け、日本野球機構(NPB)は6月19日の開幕を発表。残された時間は少ないが、ここから12球団は練習試合などを重ねながら、開幕に向けた準備を進めていく。

 この号の最終締め切り(5月25日17時)までに全容の発表はなかったので、そこまでの情報になるが、すでにプロ野球公式戦がスタートしている台湾、韓国を参考にガイドラインをかなり細かな部分まで作成し、その中には審判、ボールボーイのマスク着用も含まれているようだ。

 野球は広い空間で行われ、大部分のプレーにおいて一定の距離が保たれている。決して、感染拡大が起こる可能性が高いスポーツではない。しかも無観客となれば、ゲーム中の感染の可能性はかなり低いはずだが、もし事が起きてしまうと、シーズン中断などに発展する危惧もある。選手、関係者の健康管理はシーズンを通し、徹底的にやっていくことになるはずだ。

 むしろ問題は多くの人たちと接触する移動だろう。セについては3球団が本拠地を置く首都圏での集中開催も検討されているようだ。また、すでに交流戦、オールスターの中止が発表され、実施の可能性が低いと思われていたクライマックスシリーズ(CS)についてはセが断念の方向、パは総試合数を減らしてでも実施の可能性を模索しているという。

 現状、野球協約にも規定されている120試合を最低ラインとして考えているようだが、実際、5カ月ほどで本当に120試合を消化できるのかは疑問だ。近年は天候不順も多く、よほどの幸運に恵まれぬ限り、相当数の順延が予想される。メジャー・リーグのようにダブルヘッダーなどで消化していく方法を取るか、あるいは野球協約に抵触しても、日時で打ち切ってしまうのも、この際、やむを得ない話になるだろう。いずれにしてもかなりの過密日程が予想される。

 さらなる問題は、球団の経営面だ。無観客でスタートし、段階的に観客を入れていくにしても球場内の飲食を含め、前年同様になるまでかなりの時間が必要になる。試合を重ねるたびに赤字が想定される無観客で球団はやっていけるのか。いまはできるかもしれないが、日本経済の先行きは不透明だ。

 ただ、これらをしても、「前代未聞のシーズン」とはならない。

 試合数についても現在の143試合、過去の130試合の印象が強いかもしれないが、2リーグ制最初、1950年のパは120試合制だった(53年まで)。セも51年から53年がそうだったが、このうち51年がすごい(ひどい)。オフの日米野球のため、早々に打ち切りとなり、最多がセの阪神で116試合で、セの広島、パの阪急、近鉄が100試合に達していない。なお、このときのセ優勝の巨人は79勝9敗6分、2位の名古屋(中日)に16ゲーム差、パ優勝の南海(現ソフトバンク)は72勝24敗8分で2位西鉄(現西武)に18.5差と大独走となっている。

 話を戻し、20年、120試合となった場合、中6日で行けば、最多勝はおそらく10勝いくかいかないか。パがCSのためシーズンを短縮するとしたら1ケタの最多勝もあり得ない話ではないが、やはり昔はすごい。

 51年の投手部門で、20勝以上はパでは24勝の江藤正(南海)のみだが、セでは28勝の杉下茂(中日)を筆頭に4人。すさまじいのが国鉄(現ヤクルト)の金田正一だ。チームの107試合中56試合に登板し、うち44試合先発25完投、投球回は350イニングを投げている。

 投手でいえば、翌52年、120試合制のセもすごかった。最多勝は33勝の別所毅彦(巨人)で52試合に投げ、41試合先発、28完投、2位が杉下で32勝。61試合に投げ、30試合先発の25完投だ。24勝25敗の金田もまた64試合に投げ、41試合先発23完投。昔のエースと呼ばれた男たちは、まさに怪物ぞろいである。

 戦前はさらにとんでもなく、96試合制だった39年、優勝の巨人は66勝だったが、うち42勝がスタルヒン、戦争悪化により35試合制となった44年、優勝した阪神は27勝6敗2分だったが、うち兼任監督の若林忠志が22勝4敗2分。若林は31試合に投げ、24試合に完投しているから、1人で優勝したようなものだ。

 残念ながら野手の記録は、さほど皆さんを驚かせるものはなく、ホームランは51年でセが青田昇(大洋。現DeNA)の32本(チーム108試合)、パが大下弘(東急。現日本ハム)の26本(チーム102試合)。大下は首位打者にも輝き、自身は89試合の出場だった。全チーム120試合の50年には別当薫(毎日。現ロッテ)が43本塁打。ただ、球の問題もあり、当時はラビット(うさぎ)ボールという飛ぶ球が使われていた。

 日程に関しては今シーズンのほうがはるかに過密になると予想される。前述の51年の場合、セ優勝の巨人は3月29日開幕で10月4日閉幕、パの南海は3月31日開幕で9月29日閉幕と、およそ6カ月はある。

 スケジュールですごいのがオール120試合の50年パだ。優勝の毎日(現ロッテ)の開幕は3月11日で、閉幕はなんと11月15日、日本シリーズは22日から28日と、8カ月以上の長丁場となっている。

 50 年当時はフランチャイズ制にはなっておらず、1球団で別カードのダブルヘッダーが多く、パの開幕カードを見ても3月11日が西宮球場で毎日─西鉄、南海─阪急(現オリックス)、12日が藤井寺球場で毎日─近鉄、大映─東急(現日本ハム)。これぞ集中開催というべきか。

 2020年のシーズンがどのような形で行われるかは、25日の発表を受け、次週でまた特集してみたい。(井口)
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