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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第4回「スイッチヒッターになった不純な?理由」

 

80年は高木の現役ラストイヤー。兼任コーチとして指導もしていた


楽しかった寮生活


 ドラゴンズに入団して1年とほんの少しで投手失格を言い渡され、野手になった話が前回までです。ドラフト外入団ですし、練習、練習で大変な若手時代だったと思うかもしれないですけど、それなりに息抜きはしてましたよ。というか、グラウンドでは必死にやってましたが、それ以外はかなり遊んでましたね。

 当時、大学出は2年間寮生活で、車も禁止だったんですが、僕は確か59万円だったと思うけど、トヨタの中古車を買って、休日のたびに出かけてました。地元ですし、高校、大学時代の友達もいましたからね。

 近くに駐車場を借りて? いやいや、寮の近くの壁のそばに路駐です(笑)。そんなにうるさく言われた時代でもありませんでしたしね。寮長にはばれてたと思いますが、ほかにも乗ってるヤツはいたし、特に何も言われませんでした。

 もちろん、門限はありましたよ。学生寮じゃないから、そこまで厳しくはないけど、甘かったわけでもない。大概のヤツは守ってました。ただ、僕は気にしなかった。これには1つコツというか、やり方があるんですよ。部屋のカギは自分と、あとは寮長室にスペアキーがあって、時々、門限を過ぎても帰ってきてないヤツの部屋を空けたりしたんですが、僕はこのスペアキーをパクッて……、いや、言い方が下品ですね。勝手に拝借して、自分で管理していました(笑)。こうすれば寮長も部屋をのぞけないでしょ。おかしいと思って外から声をかけられても、あとで「寝てました」と言い張ればいいだけですしね(笑)。

 1つ失敗したのは電話です。今のスマホ世代には想像できないかもしれないけど、昔は電話も貴重品で、一人暮らしなら引いてない人が多かった。寮も共同電話だけで、個人は禁止されていました。それを僕は勝手に部屋に取り付けちゃったんですよ。工事もあったのに、われながら大胆ですね。ヤンチャ? そうでもなかったと思うけど、今振り返ると、やってることは無茶苦茶ですね。

 ただ、坪内(坪内道典)さん、僕らはツボさんと呼んでいたんですが、ツボさんが寮長の時代、僕がいつものように門限を破って・・・

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