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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

短期連載ダンプ辻コラム 第13回「タイガース流の新人育成方法(昔だけど)」

 

左が吉田、右が藤田。67年は二遊間を組んだ


何もしない?


 前回は新庄(新庄剛志)の話だけで終わっちゃいましたね。

 あいつだけじゃなく、プロに入るような高卒選手は、完成度は低くても、バケモノみたいな選手がたくさんいました。

 昭和49年(1974年)に入団した掛布(掛布雅之)もすごかったですよ。前も話しましたが、甲子園の室内での打撃練習を見てびっくりした。体は決して大きくないのにすごいスイングをして、それでいながら、バットの芯にバシバシ当てる。僕みたいに詰まってばっかりのバッターとはまったく違っていましたね(笑)。

 ほかに誰か、ですか? 江夏(江夏豊)も1年目(67年)から12勝で奪三振王だからすごかったけど、野手なら藤田平かな。市和歌山商高から41年(66年)に入った男で、バットスイングがものすごく柔らかく、とても新人とは思えなかった。内野守備も最初からうまかったですよ。派手さはないけど、グラブさばきがフワッとして軽い。

 ただ、当時のタイガースは、吉田(吉田義男)さん、鎌田(鎌田実)さんに安藤(安藤統男)さん、本屋敷(本屋敷錦吾)さんとか、とんでもなくうまい内野手がいた。平は、杉下(杉下茂)監督に抜てきされ、キャンプからショートに入っていましたが、ずいぶん、苦労していましたよ。このメンバーとはプレーのスピードがまったく違ってましたからね。

 シートノックをしていても、ゲッツーで二塁ベースに入れない。どうしても遅れてました。これはあいつがどうこうというより、要はほかの内野手が、一切、平に合わせないからです。「鎌田さんのバックトスが速過ぎて捕れなかった」と言っていたこともあったようだけど、確かにみんな、自分たちのタイミングを変えなかったですからね。

 僕が二塁にスローイングするときもそうでした。構わず、吉田さん、鎌田さんが入るときと同じようなタイミングで投げていた。平は間に合わないからエラーばっかりです。

 そのとき、僕らはどうしたと思いますか。平にタイミングを合わす? 合わし方をアドバイスする? どっちもブーです(笑)。

 答えは・・・

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