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田中大貴のMonthly Column

田中大貴コラム 『松坂世代』あの夏から21年目の延長戦 「吉見太一は常に相手を称え、優しさにあふれる苦労人」

 

兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材した至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第28回です。

京都成章高では四番・捕手で、夏準優勝の立役者に。右から2人目が吉見で、3人目がエースの古岡基紀


決勝の記憶がない!


「22年前の決勝前夜から、記憶がないんですよね。気が付けば松坂大輔(横浜高、現西武)と対戦していて、次に覚えているシーンは試合が終わった瞬間。何度思い出そうとしてみても、記憶がすっぽり抜けている」

 1998年夏、全国高等学校選手権大会の決勝前夜、京都成章高ナインはテレビを見ながら、甲子園球場の正面に『横浜対京都成章』の看板が取り付けられるシーンを食い入るように見ていたと言います。

「甲子園球場の(正面にある試合予定の掲示板に)決勝のカードとしてウチの高校と横浜高の名前が掲げられるのをテレビで見ていて、『本当に松坂のいる横浜と俺らは試合をするんだ』と。そこで初めて実感がわいたんですけど、これは成章のチームメートがみんな口をそろえて言っていたことなんですよね。準決勝(対豊田大谷高)に勝っても、まだ本当に自分たちが甲子園の決勝に進んで、松坂たちとやるという事実を飲み込めずにいました」

 こう語るのは京都成章高の四番・捕手としてチームを決勝まで導いた立役者の1人でもある吉見太一(京都成章高→立命大→サンワード貿易)です。そんな吉見は98年8月21日の夜から記憶が曖昧だと言います。古木克明(元横浜ほか)を擁する豊田大谷高を準決勝で下し、決勝に勝ち進むことが決まったその夜から22日の午後まで……、つまり横浜高と戦った決勝の試合終了まで、あの歴史的な一戦を思い出すことができないのだそうです。

「自分がバッターボックスに立って、松坂のスライダーが本当によく曲がる、ものスゴイ変化球だったことは何となく覚えているんですけど……。でもその次に覚えているシーンは自分がネクストバッターズサークルにいて、最後のバッターになった三番の田中(田中勇吾)が三振しているシーン。みんなからも『どうして覚えていないの?』と言われるんですけど、理由は分かりません。でも、あれこそが夢舞台で、夢の世界にいたということなのかなと、今は思います。松坂たちが、甲子園が、決勝が夢を見させてくれていたんだと思うんですよ・・・

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