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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第13回「珍しく?前向きになれた西武移籍」

 

西武ではライトに入った


居場所があった


 前回は1987年のオフ、監督の星野仙一さんに嫌われてドラゴンズを追い出され……、いや、小野和幸との円満トレードで西武移籍が決まった話をしました(笑)。

 いま思うと、あのときの僕は珍しく前向きで、プロらしい考え方をしていました。センさんへの恨みはまったくなかったし、ドラゴンズのこともあまり考えなかった。もちろん、名古屋から離れる寂しさはあったけど、それより、行く先の西武で、どういう形でレギュラーに割り込んでいけるのかだけを考えていました。

 たぶん、独身だったら、もっと悩んだかもしれないですね。でも、結婚して子どもも生まれたばかりです。みんなで暮らしていかなきゃいけない。自分が食わせていかなきゃいけない。何とかしなきゃという思いが強くありました。

 それだけ必死になっていなかったら、早々に消えていたかもしれないですね。当時、西武は3年連続リーグ優勝、2年連続日本一の黄金時代です。リーグが違う僕から見ても、段違いの強さを感じるチームでした。

 あと、当時の移籍事情もあります。まだまだトレードにあまりいいイメージがなかった時代です。成績的にダメになったり、(85年に)田尾(田尾安志)さんが西武に出たときや、僕もそうですけど、首脳陣に嫌われたりがほとんど。しかも、どうしたって球団は生え抜きを大事にしますから、巻き返すのは大変です。本人の努力だけじゃなく、移籍先のスタッフの理解がないと、まず成功しません。

 FAができてからは違いますよ。FA選手は大金をはたいて獲得していますし、少しくらい結果が出なくても最初の1年くらいはゲームに続けて出られる。移籍選手は、極端に言えば、生え抜きの倍くらい頑張らなきゃいけなかった時代です。

 ただ、そうは言っても、僕には・・・

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