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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第14回「西武の右中間は絶対に抜けないと言われた時代」

 

高い身体能力をフルに生かした秋山の守備


ヒットでも怒られた?


 僕は1988年、黄金時代真っただ中の西武に移籍しました。33歳になる年ですが、ほんと、すべてが新鮮でしたね。慣れ親しんだ、ぬるま湯のドラゴンズとはまったく違っていましたから(笑)。

 最初に痛烈に感じたのは、三遊間にヒットを打ったときです。こっちは自慢げにしていたのに、「あそこは引っ張れよ」といきなり怒られた。左打席での無死ランナー二塁の場面で、ショートがセカンド側に寄ったので三遊間が空いていた。狙ったのか、たまたまだったのかは忘れましたが(笑)、そこを抜いてヒットですから何が悪いかと一瞬ムッとしましたが、「抜けたからいいけど、抜けなかったら、走者が三塁に行けんだろ。あそこはアウトになってもいいから右方向だ」と言われ、“ああ、そうか。西武はこういう野球なのか”とあらためて感じました。

 要は“勝つこと”を目標にし、場面、場面でベターの方法を選択していくというんですかね。別に個人を殺すとか、個性を出さないという意味ではないですよ。当時の西武の戦いを記憶されている方は分かると思いますが、試合の流れの中で、思い切っていくところはいった。ただ、とにかく相手より先に点を取る、というのは徹底していました。チームも個人もみんな同じところを見ながら戦っていましたね。

 こう言うと、すごく規律があって、まとまった集団みたいだけど、それはユニフォームを着たときだけです。ふだんから慣れ合っているわけじゃない。というか、みんなバラバラで何をやってるか分からない(笑)。石毛(石毛宏典)が一番謎だったな。いつの間にか、ふらっと消えるんですよ(笑)。

 西武球場ですか? 守りやすかったですね。当時有数の大きな球場で、外野はナゴヤに比べ、かなり広くなったけど・・・

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