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球界事件簿

衝撃の「監督交代史」 男たちは、なぜ辞めたのか3

 

試合の全権を握る監督の“辞め方”にはいろいろある。自らの意思で辞任、あるいは完全なるクビ……。シビアに結果が出る分、円満辞任は数えるほどしかない。今年もまた、オリックス西村徳文監督が、シーズン途中でユニフォームを脱ぐことになった。今回は、「監督交代」をテーマに球史を振り返ってみよう。

就任直後にまさかの病死!指揮を執らなかった南海・蔭山和夫監督


就任会見で握手する鶴岡前監督[右]と蔭山監督


 1965年、南海・鶴岡一人監督は巨人との日本シリーズ敗退を受け、辞任を決意。後任には長くヘッドコーチとして自分を支えてくれた蔭山和夫を自ら指名した。11月13日、南海は正式に鶴岡監督の退任と、蔭山新監督の就任を発表。鶴岡監督は他チームへの監督就任をほのめかし、18日には上京し、どの球団を選んだかの会見を開くことを明らかにした。そして、まさにその朝だった。突然の電話が入り、蔭山監督の急死が告げられた。まだ38歳だった。監督就任の重圧もあったのか、不眠に苦しみ、毎夜アルコールだけでなく、睡眠薬も服用していたという。この日も薬を飲んだ後、ブランデーを飲んでいた際、昏睡状態となり、そのまま意識が戻らなかった。鶴岡は監督に復帰。会見では大粒の涙を流した。

途中就任、途中交代だったヤクルト・広岡達朗監督


 1977年途中休養した荒川博監督に代わりヤクルトの指揮を執ったのが・・・

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