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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第21回「負ける気がしなかった1990年の日本シリーズ」

 

日本シリーズ第1戦、槙原[手前]から初打席本塁打を放ったデストラーデ


自信はあるが過信なし


 前々回、話したとおり、1990年、西武は完全に独走で優勝しました。僕自身の成績はどうなっていますか?

 へえ、打率.267ですか。あまり打ってないですね(苦笑)。ただ、50犠打はしているし、二番打者としての役割は果たしていた気がします。西武というチームは、役割を果たせなきゃ使ってもらえないシビアなチームでしたしね。

 ほかにも、いろいろ強いチームは見てきましたが、やはり先発オーダーが確立しているのは絶対条件の一つのような気がします。当時の西武で言えば、捕手が伊東(伊東勤)、一塁がキヨ(清原和博)、セカンドが辻(辻発彦)、ショートはもう石毛(石毛宏典)から田辺(田辺徳雄)になってましたね。それで石毛がサード。外野は僕がライトでアキ(秋山幸二)がセンター、レフトだけ固まってなくて笘篠(笘篠誠治)、吉竹(吉竹春樹)、安部(安部理)が入っていた。あと指名打者がデストラーデ。

 このレギュラー連中がそれぞれ自分たちの役割を果たし、しかも責任感があって体調管理も自分たちでしっかりできていた。ベンチからしたら、こんな計算できることないけど、控え選手はたまらんかったでしょうね。食い込むスキがないって。ただ、こっちもこっちで必死でした。控えにも力のある選手が多かったんで、一度スタメンを取られたら、もう戻れない、という気持ちはありましたよ。

 この年、西武で打率3割台はキヨだけですか?(.307) 打線が打てなかったという記憶はあまりないけど、一つ覚えているのは・・・

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