ソフトバンク・リチャードの兄と言えば、ご存じの方もいるだろう。高校卒業後、アメリカの大学に進学し、子どものころからの夢だったメジャー・リーグへ。右ヒジのケガや新型コロナの影響などもあり、メジャー昇格は叶わなかったが、持ち前のポジティブシンキングで新しい道を切り開いていく右腕に、話を聞いた。 取材・構成=菅原梨恵 写真=大泉謙也 渡米と投手専念
弟・リチャードが日本球界入りした一方で、ジョセフはアメリカでプロとしての一歩を踏み出した。子どものころから強くあこがれたメジャー・リーグ。挑戦に迷いはなかったという。 ──野球を始めたきっかけを教えてください。
「父がヤンキースファンで小さいころからメジャー・リーグを見ていました。チームに入ってプレーし始めたのは、沖縄に来てから。友達のお父さんが少年野球の監督をしていて。小学2年生の終わりごろか、3年生のときだったと思います。最初は投げるよりも打つほうが楽しくて。空振り、空振り、でもバットに当たったらポーンって。そのときのうれしさが大きくて、『野球楽しいな』と思いましたね」
──中学、高校と続ける中、高校2年のときに野球部をやめたとのことですが。
「アメリカに行きたくて。あとは、正直なところ、高校の練習が自分と合わなかったこともありました。だから、自分で練習に取り組んでいましたね」
──アメリカに行こうという思いは、いつから?
「小学生のころからずっとです。メジャーに行きたい、メジャーに行きたいって、ずっと言っていました。やっぱりテレビで見ていた影響ですかね。最初から勝負するなら向こうで、と。プレースタイルがカッコよくてあこがれていたんです」
──大学までは投手と打者の二刀流でした。自身の中ではどちらが好きですか。
「もちろんピッチングが好きなんで、プロの世界ではピッチャーで勝負しようと決めました。ピッチャーを始めたのは小学生のとき。同級生と比べると体も大きくて球も速かったので。でも、中学のときに変化球が曲がらなくて、そこからは野手でしたね。ただ・・・
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