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よみがえる1980年代 1985年編

猛虎旋風、吹き荒れる!阪神21年ぶりのV

 

日本中がプロ野球で、あれほど熱狂したことがあったのだろうか。1985年、長くダメ虎と言われ、バカにされまくった阪神が、打って、打って、打ちまくって21年ぶりのリーグ優勝、さらには管理野球とも言われた西武を吹き飛ばし、2リーグ制後、初の日本一に輝いた。

4月17日、巨人戦[阪神]。伝説のバックスクリーン3連発はバースの一発から始まった[手前は巨人・槙原寛己]


「土台づくり」から始まった


 1985年、まるで熱病に浮かされるかのように、日本中が興奮状態になった。この不思議な病(やまい)に名をつけるなら“猛虎熱中症”だろう。たまにしかかからないから、症状は深刻なくらい重くなる……。

 開幕前、阪神タイガースを優勝候補に挙げる解説者はOBを除けば皆無だった。それはそうだ。さかのぼっても76年の2位のあと、4位、6位、4位、5位、3位、3位、4位、4位。のち80年代終盤から訪れる絶望的な暗黒時代に比べればまだマシだが、いくらかいでも、優勝の匂いはかすかにも感じられなかった。

 監督は2期目初年度となる“よっさん”こと吉田義男新監督。厳しさを前面に出して失敗した1期目に懲りたか、選手との対話を重視。ソフトムードを漂わせていたが、最初からダメだったときの言い訳のように「土台づくり」「われわれは挑戦者」「一丸野球」を繰り返し、景気のいい言葉を引き出したい関西メディアをげんなりさせていた。

 スタートは最悪だった。4月13日、開幕の広島戦(広島)では、手痛い隠し球を食らった後のサヨナラ負け。しかし、1勝1敗で戻った甲子園での対巨人3連戦で潮目が変わる。

 16日の1戦目は0対2とリードされた4回裏二死から掛布雅之がソロ、岡田彰布が四球の後、佐野仙好の平凡なショートフライを巨人・河埜和正がまさかの落球。岡田が一塁から一気にホームにかえって同点にし、そこから打線が爆発。一挙7点のビッグイニングにすると、5、8回にも加点し、10対2と快勝した。

 続く17日が、もはや伝説となった“バックスクリーン3連発”だ。ただ、試合展開は阪神の一方的なものではなかった。巨人の先発は21歳の槙原寛己。当時は150キロ台半ばの速球でぐいぐい押していた時期だ。阪神打線は槙原の前に6回まで岡田の適時打による1点のみに抑えられ、1対3とリードされて迎えた7回裏だった。二死一、二塁で、ここまで大不振だったバース・・・

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