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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第30回 寝ぼけてケガをしてついに引退

 

通算450犠打をマークしたシーン


代打で新境地も


 1995年のシーズンが終わって、バレンタインがGMの廣岡達朗さんとのゴタゴタもあって監督退任し、GMは廣岡さんのまま、監督が江尻(江尻亮)さんになりました。

 契約更改で越年? まったく記憶にございません(笑)。単に順番じゃないですかね。誰かがゴネて僕が後回しになったとか……。たぶん、ガツンと下げられたとは思うけど、出番も減ってたし、もうもめる要因もなかったと思いますけどね。

 コーチ兼任を外れ、また一選手になった年でもあります。勝負の1年? いや、現役終盤はずっとそうだったからね(笑)。いつも体が動く限り、もちろん、欲しいと言ってくれる球団がある限り現役を続けたいというのはありました。使ってもらえば、まだまだチームの役に立てる、という思いもあったしね。

 あの年のロッテは、なかなか勝てなかったですね。それでシーズン後半くらいから、バレンタインのアメリカ流のやり方がよかったという選手たちが、廣岡さんのやり方と毒舌に反発し出した。伊良部(伊良部秀輝)が廣岡さんの批判をしたり、終盤戦になると、ファンも殺気立って味方をヤジっていたらしいですね。

 こういうことって結果論というのかな。勝っていたら、そんな騒ぎにならなかったと思います。当時のロッテは前年の95年に2位にはなったけど、本当の意味で強くなったわけじゃない。こうだから勝った、こうだから負けた、というより、勢いで勝っていただけというかな。そういう戦いでは、なかなか何年も続かないんですよ。

 ただ、正直・・・

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