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田中大貴のMonthly Column

田中大貴コラム 『松坂世代』あの夏から22年目の延長戦「打倒・横浜、打倒・松坂大輔の一番手」

 

兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材した至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第32回です。

明徳義塾高3年時には春夏連続で甲子園に出場。夏は準決勝まで勝ち進んだ


最後の夏は、行ける──


「40歳ってものすごい年齢なんですよ。松坂大輔(現西武)も和田毅(現ソフトバンク)もただひたすらすごい。引退する藤川球児(阪神引退)も引退試合のボールを見たら、まだまだいけると思った。でも相当、体が疲れているんでしょうね。ここまで投げてきたんだから大レジェンドですよ」

 地元・徳島に戻り、家業の水産系の仕事に携わる寺本四郎が、同級生たちに向けて発する言葉は一言一言がとてもていねいで想いが詰まっていました。

「2006年に任意引退して、息つく暇もなく徳島に戻り、兄に仕事を任されました。イタリア料理屋、バーなど3店舗ほどを切り盛りする飲食店経営者という肩書になりました。まったく知らない世界でしたから、毎日毎日が学びの日々。あれから14年、飲食店は後輩に任せられるようにまでなり、今は実家の水産業などを手伝っていますよ」

 98年、夏の甲子園大会は東の横浜高、西のPL学園高に並んで四国の明徳義塾高も脚光を浴びていました。その明徳を率いるのがエースで四番、主将も務める寺本でした。選手としても松坂に対抗できるのは、投手としても打者としても抜群の能力を誇る寺本だと言われていました。

「僕は高校入学当時、本当にヤンチャで……そんな僕に馬淵史郎監督が・・・

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