この3人がミスターを語ると、もう止まらない。1号空いてしまったが、「長嶋茂雄を語る」の中編。愛にあふれた爆笑トークをお楽しみください(ちなみに今回の川口和久氏はほぼ聞き役です)。 構成=井口英規 監督になっても明るさは変わらず!
バットを放り投げた?
──料理は、小さめながら味は店のお姉さんが保障つきのデザートだけになりましたが(笑)、取材はもう少し続きます。前回に引き続き、長嶋茂雄さんのお話をお願いします
(詳しくは前回を参照ください)。
定岡 こっちは話しているだけなんでいいけど、これがもう3回目ということですよね。うまくまとまりますか。
──大丈夫です。30分、話してもらって1回分と計算しています。今回は最初から4回分の予定で、頭の中でタイムキーパーもしています(笑)。
川口 ということは、この後にもう1時間話すの(笑)。俺らはいいけど、店の奥から堺正章さんが出てきて「チューボーですよ」……じゃなく、「時間ですよ」と言って追い出されそうだな(笑)。でも、今の流れだと長嶋さんの監督1期時代(1975〜80年)がもう少し続きそうだね。当時は僕のカープ入団前だから、ほとんどファン目線の話しかないんだよな……。しばらくは先輩2人にお任せし、ちっちゃいアイスを食べながら聞き役になりますか(笑)。俺も、ミスターの話なら何でも聞きたいし。
──定岡さん、篠塚さんはファーム時代、長嶋監督とはあまり接点はなかったということでしたね。
定岡 ミスター(長嶋監督)は一軍監督ですから、当たり前と言えば当たり前ですけどね。ただ、僕は最初の5年間、ほとんどファームだったけど、キャンプは一軍でやらせてもらっていて、必ず一度は部屋に呼ばれたんですよ。大したことを話すわけじゃなく、「おお、体が少しできてきたな」とか言われるくらいでしたけどね。
篠塚 僕が初めて一軍の試合に出たのは2年目(1977年)の8月ですが、それまでは、さっき(前回)も言ったけど、ほんと1位で指名したのを覚えているのかなと思うくらいでした。当時はシーズンが終わってから多摩川で練習をやっていたんで、1年目の秋もミスターはいたんですが、直接、教えてもらったことはなかったと思います。
入団当時の定岡氏(左)と長嶋監督
──では、2年目の夏以降で思い出されることは。
篠塚 バットの話があったな。確か3年目(78年)だったと思うけど、われわれ若手は、球場に早めに来て特打をして、ミスターもいつも来ていて外野を走っていた。あのときベテランの土井(
土井正三)さん(※V9時代は二番セカンドで送りバントの名手だった)も来ていて、僕に「どういうバットを使っているの?」と聞いてきた。僕は、もともと細いバットを使っていたんだけど、土井さんが「シノ、お前の力でこんな細いバットを使っていたら通用しないよ、俺のを使え」と、短くて太いバットをくれたんだよね。
川口 確かに、昔の小柄な選手は太いバットでゴツンと当てるようなバッティングをしてましたね。
定岡 福本(
福本豊)さん(阪急)がすりこぎみたいなバット使ってたね。
川口 大洋の山崎(
山崎賢一)のコケシバットもありましたよね。今と比べたら、バットもいろいろありました。
篠塚 太いバットは、重心のバランスもあって、さらに短くしか持てないんだよ。で、そのバットで練習を続けていたら、ミスターが来て「よし、俺が投げるぞ!」とバッティングピッチャーをやってくれたんだ。
定岡 へえ、すごいな。ミスターの球を打てるんだ。うらやましいね。
篠塚 それで1球、投げてくれたんだけど、こっちは、どんな球筋かも分からないじゃないですか。1球目、ど真ん中だけど、見送ったんです。そしたら、そのときは知らん顔をしていたけど、次の球、いきなり頭に投げてきた(笑)。
定岡 わざとなの?
篠塚 何も言わなかったけど、たぶん・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン