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昭和ドロップ

オヤジたちの深堀りTALK 昭和ドロップ 第12回「僕らがお世話になったコーチの皆さん」

 

今回は第4クール(4回目の取材)の3回目となる。テーマは「コーチ」で始まったが、いつの間にか昭和のキャンプ論になっていた。
構成=井口英規

75年第1次長嶋政権のコーチ。前列右端が宮田コーチ、左から2人目が関根コーチ


年月がたって分かること


──前回、川口さんが引退を覚悟したところから、コーチの宮田征典さんのアドバイスで復活したという、深イイ話がありました(96年巨人時代)。今回のラストは、自分に影響を与えてくれたコーチというテーマはいかがですか。

川口 突然だね、思いつき?(笑)

──はい。大喜利ではありませんが、どんなお題でも答えていただけるのが、「昭和ドロップ!」と思っていますから。

定岡 いいですよ、何でも振ってください! ただ、コーチ話となると、お世話になった方ばかりですから、そうそう爆笑話ばかりとはいかないかな。

──大丈夫です。いつもお笑いだと連載を軽く見られそうなんで、メリハリつけていきましょう(笑)。

定岡 実は、僕も宮田さんなんです。プロでの初めてのコーチだったんですが(1975年巨人一軍投手コーチ)、すごく丁寧で優しかった。10代の僕たちには、「俺の言うことを聞いておけば間違いない」くらいの説得力がありましたね。

──“8時半の男”ですね(1965年巨人優勝時のリリーフエース。いつも8時半くらいに登場することからついた)。他球団でも評価の高い投手コーチです。

定岡 そうそう。ただね、当時は宮田さんだけじゃなく、いろんな方がアドバイスしてくれたけど、プロの人たちの言うことはすべてが正しいんだと思って聞いていたら、自分のフォームが分からなくなったんですよ。すごく戸惑った記憶がある。10年以上たってからかな。あのときの宮田さんの言葉はこういう意味だったんだって分かったのは。それを宮田さんに言ったら「そうだろ」ってすごく喜んでくれた。指導ってそういうところがあるんですよ。そのときは分からなかったことが、年月がたってから、自分の身になっていたことにやっと気づくというのかな。

中央が中村コーチ(隣は鹿取義隆)。後方には定岡氏の姿も


──ほかには。

定岡 あとは中村稔さん。この人は、上からじゃなくて選手の目線になれるんですよ。練習も選手と一緒にやってくれましたしね。指導もワンポイントしか言わないんだけど、それがツボに入ってくる。入ったばかりのときと、あと藤田(藤田元司)さんが監督になってからのコーチでしたね(81年から復帰)。

──以前、ご本人に取材したことがありますが、面白い人ですよね。選手の●●●●の●●●●をよく頼まれたとか言ってました(笑)。

川口 それ、全部伏せ字にしてね(笑)。

定岡 そう言えば、あの人、競馬が好きだから、二軍の北海道遠征のとき、「サラブレッドを見に行こう、ハイセイコー(75年引退の名馬)がいるぞ!」って言い出したことがある。それで「この牧場は俺の顔だからさ」って連れて行ってもらったら、中にも入れなくて外から見て終わった(笑)。

川口 おおらかそうな方ですね。

定岡 うん。でも、男気もある人だったよ。僕は好きだったな。

篠塚 僕は二軍監督だった関根(関根潤三)さんですかね。

定岡 僕が入ったときは二軍監督は国松(国松彰)さんで関根さんは一軍コーチだったけど、シノが入った年(76年)に1年だけ二軍監督になったんだよね。どのあたりがよかったの?

篠塚 何も言わなかったことです(笑)。

定岡 確かに、いつもニコニコしてたね。

篠塚 コーチ陣に・・・

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