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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第35回 日本ハムを変えた3人の外様コーチ

 

鉄壁と言われるようになった日本ハム外野陣だが、それまでは……[左から森本、新庄、稲葉]


北海道でプロ復帰


 何度も言っていますが、社会人の住友金属鹿島を教えた3年間は、すごく楽しかったですね(2003年から05年)。こちらのアドバイスを素直に聞いてくれ、しかも、みるみるうまくなっていくじゃないですか。ロッテの連中が素直じゃないとか、うまくならなかったという意味じゃないですよ(笑)。もともとのベースの部分が違いますしね。

 もう少しやりたいという気持ちもあったんですが、2005年の秋、日本ハムから「コーチで来ないか」と声をかけてもらい、住金鹿島のコーチは辞めることになりました。

 日本ハムのGMをしていた高田繁さん(05年就任)からいただいた話です。同じチームでやっていたわけではないんですけど、高田さんが巨人の二軍監督時代、僕が同じイースタンのロッテの二軍監督だったこともあり、いろいろ話をする機会があった。そこで何かを感じてくれたんじゃないですかね。「チームの体質を変えるため、ほかのチームでやっていたコーチを呼びたいんだ」という話をしていただきました。

 考えてみると斬新ですよね。チームを変えたいとき、中日阪神監督時代のセンさん(星野仙一)がそうでしたが、トレードで選手を入れ替えるというのはあります。特に僕みたいに文句の多いベテランをね(笑)。あとは、もちろんコーチをガラリと変えることもたくさんあったけど、大抵、前の監督寄りのコーチを切って、新しい監督の派閥を呼んだりすることが多かった。監督が外国人のヒルマンだったこともあるでしょうね。日本球界に派閥なんてないし、高田さんもGMとして思い切ったことがやりやすかったのかもしれないです。

 高田さんは、僕の目から見ると・・・

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