どんな選手であっても、プロへの道程において多くの教えを授かった「恩師」と呼ぶべき存在がある。楽天から日本ハムへの移籍が決まった池田隆英にとって、高校での3年間は、投手として大切なものを学んだ貴重な時間だった。入学時の野球部監督で、1年夏からコーチを務めた創価高・片桐哲郎監督が当時を振り返る。 取材・構成=富田庸 x写真=BBM 私が池田の投球を初めて見たのは、彼が東松ワンダーズ(現佐賀東松ボーイズ)に所属していた中学2年生の秋でした。真っすぐに力があり、「これはすごい投手だ」というのが第一印象です。中学レベルという印象はなかったです。体の線はまだ細かったのですが、体にバネがあり身のこなしなども一流のものを持っているなと感じましたね。
お父様が創価大ご出身という縁もあり、創価高に進むわけですが、15歳で親元を離れ、寮生活をすることに不安はあったと思います。実力的には十分にありましたが、まずは生活に慣れること。試合で起用するのは夏以降と考えていました。
同期には
田中正義(現
ソフトバンク)がおり、1年夏に彼がエースナンバーを背負うことになります。3年生のエースがケガで離脱したこともあり、試しに起用したところ、予想外の投球を見せたのです。あれよあれよという間に台頭していきました。ただ、田中は夏以降、右肩を故障してしまい、投げては痛みが出る、の繰り返しで。ですから、8月に就任した近藤省三監督は「無理して投げさせないほうがいい」という方針でした。
当時は・・・
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