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球界温故知新

「引き分け」伝説 秘められし幾多のドラマ

 

9回打ち切りによって引き分けが急増している。4月29日現在ではセが9試合、パは13試合。延長10回までとした前年は120試合制ではあったが、セが24試合、パが16試合だからこれを大幅に上回ることは間違いない。

88年、史上最も非情な引き分けとなった「10.19」


史上最長28回は引き分け 先発投手はいずれも完投


 勝ちでも負けでもない引き分け。ただし、それは決して“あってもなくてもいいもの”ではない。球史をひもとけば、1つの引き分けが優勝のカギを握ったこともある。

 プロ野球の延長戦のルールは、何度も変更され、引き分け再試合もやったりやらなかったりだが、1974年、「試合開始から3時間以上を過ぎた場合、次の延長回には入れない」という規定ができ、引き分けが急増した時代がある。78年には両リーグ780試合中、1割近い73試合が引き分けとなり、82年にセの優勝を飾った中日の19試合引き分けがシーズン最多となっている。

 近年は延長12回が一つの基準となっているが、2011年と12年は東日本大震災による節電策として、試合時間が3時間30分を超えた時点で次のイニングに入らない特別ルールを導入。昨季は新型コロナウイルスの感染拡大防止策で10回までだったが、今季は9回までで打ち切りのルールとなり、すでにセ・パを合わせて22試合の引き分けが生まれている(4月29日現在)。

 歴代の引き分けで有名なのは1942年5月24日、後楽園での大洋-名古屋の延長28回の死闘だ。名古屋はのちの中日だが、大洋は戦後の大洋とは関係ない。当時は敢闘精神を求める軍部の指示もあって延長は無制限だったが、最後は日没での引き分けとなった。試合は2点をリードした名古屋に対し、大洋が6、7回に4点を取って逆転。名古屋が9回二死から古川清蔵の2ランで追いつくと、あとはひたすら0が続き、4対4のまま終了した。

 大洋の先発は、この年の105試合中66試合に投げ、40勝を挙げた野口二郎。投球回数は527回1/3というからすさまじい(リーグ最多は朝日の林安夫で541回1/3で野口は2位)。対する名古屋の先発は、戦後になって野手に転向する西沢道夫だ。球数は野口の344球、西沢の311球。ほぼ3試合分ながら試合時間は3時間47分となっている。

 さらに驚くのは、この試合が3チームによる“トリプルゲーム”だったことだ。両チームとも、この日の2試合目で、第2試合を戦った大洋は、わずか25分の休憩でこの試合に挑み、試合終盤、疲労から走者の足がもつれていたというが、3日前と前日に完封勝利を飾っていた鉄腕・野口は、のちの取材で「試合後もあまり疲れたという記憶がありません」と語っている。戦後であれば、53年6月25日、大映-近鉄戦(後楽園)の延長22回(4対4)が最長だ。

 優勝に絡む引き分けでは、73年10月11日の巨人-阪神戦(後楽園)がすさまじかった。この年の終盤戦は・・・

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