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昭和ドロップ

オヤジたちの深堀りTALK 昭和ドロップ 第20回「ジャイアンツ二軍選手の青春」

 

都内のとある和食店での昭和話……。仲の良い3人だからこその硬軟バランスの取れたトーク、いや、やや最年少マキさんに引っ張られて軟らかめが多くなったトークも1時間以上が過ぎた。2回分が終わったので、そろそろお開きにしようかと思ったが……。
構成=井口英規

寮の近くにこんな看板が


恐怖の武宮竹刀


─楽しいお話ありがとうございました。このあたりで終了しましょうか。

槙原 いつも何回くらいまとめてやっているんですか。

─だいたい3回です。

槙原 これじゃ、3回はいかないでしょ。

─そうですね、2回かな

槙原 せっかくだし、もう1本いきましょうよ。ねえ、サダさん。

定岡 夜までだって大丈夫ですよ(笑)。僕もシノも家も近いしね。

槙原 じゃあ、決まりだ(笑)。次のテーマは何ですか。

─ええと……何がいいですかね。

槙原 あれ、考えてなかったんですか!

定岡 マキ、責めちゃダメ! 成りゆき任せが『昭和ドロップ!』なんだ(笑)。

─すみません(笑)。では、最初の多摩川話が面白かったんで、ジャイアンツの寮生活の話にしましょうか。皆さん、武宮(武宮敏明)さん(伝説の鬼寮長)の寮長時代ですよね。

[上]多摩川の小池商店 [下]多摩川グラウンド


槙原 初めて寮に行ったとき、竹刀があったのはびっくりしましたね。

─有名な武宮さんの竹刀ですね。マキさんもやられた経験が……。

槙原 僕はありませんが、見た中では、殴り過ぎて竹刀が折れ、結んでいる黄色い糸1本になったのを覚えています(笑)。

定岡 誰がやられたんだ?

槙原 僕の同期ですけど、サダさんは、たぶん知らないと思います。(寮近くにあった日本テレビの)生田スタジオのバスがあったじゃないですか。それを寮の近くで手を上げて止めようとしたヤツがいたんです。タクシーじゃないから当然、止まってくれない。それなのに「なんで止まってくれないんだ!」って文句を言いにいったらしい。それが武宮寮長の耳に入って、「そんなバカがいるか!」ってボコボコです(笑)。

定岡 寮って、日本各地のいろんなところから来ているからね。野獣みたいなのもいるし、ジェントルマンもいる。あと、やっぱ関西弁が強烈だったな。今みたいに関西のお笑いタレントがテレビに出まくっている時代じゃないから、最初はびっくりしたよね。

槙原 関西弁ってうつりますよね。ついつい、こっちもしゃべったりしちゃう。

定岡 なんやねん、とかね(笑)。シノは俺の1年あとの入団(1976年)だけど、最初来たときに茶色のコートを着てたよね。

篠塚 茶色のコート? いや、どうかな。エンジのスーツは着ていましたけどね。

定岡 いや、コートだったよ。寒い日でね。シノが茶色のハーフコートを着ていて、東京の高校生はすごいなと思った。

篠塚 千葉の銚子ですけどね(笑)。

定岡 あ、関東の人か(笑)。どっちにしてもすごいなって思ったよ。(地元の)鹿児島にコートなんてなかったからね。

篠塚 あるでしょ、鹿児島の人に怒られますよ(笑)。

槙原 僕は入団前にテレビで見たんですが、新人のころのサダさんと長嶋(長嶋茂雄)さん(当時監督。75年)の映像がありましたよね。洋服がどうこうという……。

篠塚 「洋服、持ってるのか」ね(笑)。

定岡 2人ともよく覚えてるな(笑)。正確には「洋服、着たことあるか」だったよ(長嶋さんの声マネをしつつ)。

槙原 『ミユキ野球教室』(日本テレビの人気番組。巨人の選手が出演することが多かった)でしたっけ? そのあと定岡さんが返事もせずに黙っていて、何で何も言わないのかと思っていました。

定岡 確か・・・

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