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田中大貴のMonthly Column

田中大貴コラム 『松坂世代』あの夏から23年目の延長戦 「矢野修平は治療や医療の観点から選手を救うことで野球界と関わる男」

 

兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材した至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第41回です。

3年春のセンバツではベスト8に進出した


センバツでの姿は衝撃


 今から23年前の1998年は、まだインターネットやSNSといった情報ツールが充実はしていなかった時代です。僕らが高校野球関連の情報を得るツールと言えば、テレビ、新聞、ラジオ、そして雑誌が中心でした。松坂大輔ら世代のトップを行く選手たちの動向は、テレビなどのビッグメディアが取り上げ、全国に情報は多く流れていました。一方で地方の高校や選手たちの情報はほとんど知れ渡ることがなく、その地域では有名であっても、全国までは情報が届くことは稀でした。だからこそ、この男の甲子園での登板は全国に衝撃を与えることになったのではないでしょうか。

 宮崎県立高鍋高校の矢野修平。98年春のセンバツでの姿は衝撃的でした。140キロ台のストレートを連発。2回戦で関西学院高、3回戦で広島商高と名門校を次々に破り、見事にベスト8に進出します。思わず高鍋高を調べてしまいました。宮崎県の中心部に位置する高鍋町という人口も1万人台の小さな町にある高校で、地図を見ても緑が多く、川が流れ、日本のどこにでもあるような風光明媚な田舎景色の中にある野球部に思えました。そんな地方の公立高校に、こんな快速球を投げる投手がいるなんて……。僕ら地方の公立高校の人間にとってはうらやましいと思うのと同時に、誇りに感じ、僕らも頑張れば矢野投手や、高鍋高のようになれるのではないかと思い、鳥肌が立ったことを今でも覚えています。

「僕自身、松坂世代や同世代の皆さんへの意識は少ないほうではないかなと思います。宮崎の田舎で生活していたので、同世代の活躍の情報はほぼありませんでした。甲子園へも運良く出場できましたが、他校に対する意識や個人的評価をする余裕はありませんでした。ただ、センバツでは試合のない日の練習が横浜高と重なることが多くありました。横浜高の練習を見たとき、量、質ともに全国レベルのすごさに圧倒されたのはとても記憶に残っています」

 環境的なこともあいまって松坂世代への意識はそれほどなかったという矢野。ただ・・・

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