4年をかけてチームをつくり上げ、最高の成果を手にした。東京2020オリンピックで頂点に立つことをターゲットに、2017年7月31日に日本代表監督就任。1年の大会延期も、ライバルたちを退け、5戦全勝で日本球界の悲願である金メダルを獲得した。あらためて日本中が歓喜に沸いた“夏”を振り返る。 取材・構成=坂本匠 写真=兼村竜介(インタビュー) 北海道日本ハムファイターズの球団事務所にて。日本シリーズのチャンピオンフラッグと、2023年開場予定の新球場・エスコンフィールドHOKKAIDOの完成予想図の前で
勝って当たり前日本野球への見方
日本代表監督の任を満了し、日本ハムGM兼SCOとして、新たな挑戦に向かう稲葉篤紀氏。1つの戦いを終えた指揮官は、穏やかに東京2020オリンピックを振り返った。 ――8月7日のオリンピック決勝(対アメリカ、横浜)に勝利し、金メダルを獲得しました。あれから早や4カ月が経ちますが、あらためてあの瞬間を振り返ってください。
稲葉 うれしさというよりは、ホッとした感情が強かったのですが、それは今も変わりません。あらためてホッとしています。金メダルを獲れて良かったですが、逆にもし獲れていなかったらと思うと……。
――周囲の反応はいかがでしょうか。
稲葉 あれから4カ月が経ちますが、お会いする方にはいまだに「オリンピックおめでとうございます」「見ていて感動しました」と言っていただけます。オリンピックを見ていただいた方が、こんなにも多かったんだな、とありがたく感じています。
――在任中に「オリンピックの頂点に立ったとき、野球界、そして世界がどう変わるか見てみたい」という趣旨の話をしていました。今、その目に世界はどう映っていますか。
稲葉 これはまだ、感じられることではないのかな、と思っています。もちろん、反響は大きいですし、多くの方に喜んでもらえました。ただ、本当に変化があるとしたら、3年後、5年後、10年後とか、スパンの長い話で、例えば次のオリンピックが来たときなど、あとあとのことなのかなと考えています。オリンピックは4年に1回で次回パリ大会(2024年)では、残念ながら野球は競技から除外されてしまいましたが、そのときに「野球は実は前回大会で金メダルを獲ったんだよ」と東京大会を振り返ってもらえるとうれしいですね。ロサンゼルス大会(28年)では競技復活を期待しているのですが、侍ジャパンも常に「オリンピックで金」をターゲットにできる状況にはありません。WBCにプレミアと、その時、そのチームによって変わります。その中で、東京大会での金メダル獲得をどう次につなげていくか、しっかりと考えないといけませんね。
――東京大会をテレビで見ていた子どもたちがプロになり、「あのときのオリンピックを見て――」ということもあると思います。
稲葉 私の「あのプレーを見ました」と言ってくれる現役選手もいるくらいですから、今夏のオリンピックを見て、「頑張ろうと思いました」「僕も野球でオリンピックに出たいと思ってプロになろうと思いました」という選手たちが5年後、10年後に出てきてくれるとうれしいですし、それからじゃないでしょうか。オリンピックで頂点に立ったことの意味が分かるのは。つまりは、金メダル獲得がスタート。野球がオリンピックの正式競技になって以降、金メダルを獲得するのは初めてなわけですから、その影響がどうなっていくのか、誰にも分からない。だからこそ、今回、日本代表に名を連ねた選手、コーチ、そしてスタッフまで含めれば60〜70人が、オフにさまざまな活動をするときに、「オリンピックはこうだったよ」と伝えていくことも重要ですね。
――あらためて最高の結果を手にしたわけですが、2017年の日本代表監督就任からのプレッシャーは、いかほどのものでしたか。
稲葉 これは徐々に大きくなっていきました。13年の日本代表常設化から
小久保裕紀監督(現
ソフトバンク二軍監督)の下でコーチをさせていただき、17年に監督に就任した際には本当に楽しみでしょうがなかったんです。ただ、18年に日米野球を戦い、19年のプレミア12を経て、オリンピックが近づくにつれて、本当に大変なことを引き受けてしまったな、と。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、大会は1年延期となりましたが、今年に入ってからのプレッシャーは、もう……。メンバーを決め、発表するのも悩みに悩み、発表したあとも、この選手たちがケガをしないだろうかとか、本番が近づくにつれて心配事も増えていきます。不安と言ったらおかしいですが、「これで大丈夫なのか?」と自問自答しながら進んでいきました。
――周囲からの期待も大きかったと思います。
稲葉 JOC(日本オリンピック協会)の山下泰裕会長とお話しした際も、「野球は金を獲ってくれる。(獲得予想の)1つに入っているから」と言っていただきまして、あらためて日本の野球はそういう見方をされているんだなと思いましたね。
――勝って当たり前、と。
稲葉 これか、と。(08年の北京大会で指揮を執った)
星野仙一監督がおっしゃっていたことは。勝たなきゃいけない。勝たないとどうなっていくのか。そのプレッシャーは、正直、常にすぐ横にあるものでした。
菊池涼介によって首にかけられた金メダルを手に、最高の笑顔で記念撮影に臨む稲葉監督[写真=WBSC]
1点を守り1点を奪うベンチと選手が共有
最短の5戦全勝で悲願の金メダルを手にした日本代表だが、難しい試合の連続だった。なぜ日本は厳しい戦いを勝ち抜くことができたのか。指揮官による解説を聞こう。 ――オリンピックを終え、金メダルまでの5試合を振り返りましたか。
稲葉 実は、まだ通しで見返してはいないんです。つい最近、日本代表の金メダルまでの道のりを特集してくれた番組があって、その番組内で1試合ずつのダイジェスト映像があったので、そこで久しぶりに見ました。あらためて選手たちがよく戦ってくれたな、と思いました。
――勝ち上がり次第では試合数も異なりますし、最悪のことも想定しながらの大会本番だったと思います。最終的に、最高の形で終わるわけですが、ポイントとなった試合は。
稲葉 19年に優勝したプレミア12と同様に、今大会は決勝以外、逆転や同点からの勝ち越しばかりの展開でしたからね(苦笑)。どれも大事な試合ではあるのですが、やはり、開幕戦になるのかなと思います。
――ドミニカ共和国戦(7月28日、福島・あづま球場)ですね。
稲葉 あの試合に負けていたら、本当にどうなっていたことか。
――2対4と2点ビハインドで迎えた9回裏、どう考えて最後の攻撃を迎えたのですか。
稲葉 これまでの4年間の活動の間も・・・
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