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80's ファイターズの記憶

個性派集団がつかんだ悲願の初優勝 大沢親分がむせび泣いた夜【1981年10月13日】

 

球団名が日本ハムになって8年目の1981年。大型トレードで広島から加入した江夏豊がストッパーに定着し、勢いに乗ったチームは大躍進。前年の悔しさを晴らし、ロッテとのプレーオフを制して“親分”こと大沢啓二監督が後楽園球場の夜空に舞った。
写真=BBM

ナインたちの手のよって胴上げされる大沢監督


勝負をかけたトレード


 1981年1月21日。日本ハムが大勝負をかけたトレードが正式に発表された。獲得したのは、79、80年に広島の連続日本一に貢献したストッパーの江夏豊。80年オフ、本人が移籍を望み、広島サイドも放出を検討。その情報を受け、大沢啓二監督自ら松田耕平オーナーの自宅に出向くなど、交渉したと言われる。西武ヤクルトなども獲得に動いており、し烈な争奪戦を制した。決め手になったのは、79年に20勝を挙げたエース右腕の高橋直樹を交換要員とする決断。両球団の間では11月に合意していたが、高橋直の説得に時間を要した。

 前身の「東映フライヤーズ」時代の1962年に初優勝を遂げた球団は、72年限りで日拓ホームに売却。1シーズンを経て、74年から「日本ハムファイターズ」へと姿を変えた。大杉勝男を74年オフ、張本勲を翌75年のオフに放出するなど、徐々に東映カラーからの脱却を推し進め、血の入れ替えとともに若手育成が進みつつあった。大沢政権6年目だった80年のベストオーダーはこうだ。

(左)富田勝=前巨人
(中)島田誠=77年ドラフト外
(一)柏原純一=前南海
(右)クルーズ
(指)ソレイタ
(捕)加藤俊夫=前ヤクルト
(三)古屋英夫=78年ドラフト2位
(遊)高代延博=79年ドラフト1位
(二)菅野光夫=75年ドラフト1位
(投)木田勇=80年ドラフト1位



 この年は、前後期いずれも2位で、年間トータルでは3位。日本ハムとしての初優勝に最も近づいたシーズンだった。特に後期は、10月5日に待望のマジック「1」が点灯。同7日の近鉄戦に勝つか引き分ければ優勝が決まる状況を迎えた。しかし・・・

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