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80年代のプロ野球を語る

80年代のプロ野球を語る・金村義明(元近鉄ほか) 「80年代のパ・リーグは豪快でした」

 

ドラフト1位で近鉄に入団したが、夢見たプロの環境は想像以上のものだった。特にパ・リーグ、その中でも近鉄は……。球団に対する反骨心で成長を遂げ、いてまえ打線の大将となった男の回想録。
取材・構成=牧野正 写真=BBM

鳴り物入りで近鉄入団。いろんな意味で注目を浴びたが……


汚かった球場と野次


 兵庫県宝塚市出身。小さいころは阪急ブレーブスのファンだった。年会費1000円ほどの「阪急ブレーブス子ども会」に入り、西宮球場で阪急戦を観戦するのが楽しみだった。甲子園で優勝投手となり、その阪急からスカウトがやって来たのは大きな喜びだったが、入団したのは同じ関西のパ・リーグでも近鉄だった。

 小さいころの僕の夢というのは、野球を頑張って報徳学園高に行って、そこから阪急にテスト生でもいいから入って、母親に長池(長池徳士、元阪急)さんのような豪邸を建てることでした。作文にもそう書いていたんです。

 当時は選手の個人情報が雑誌などに丸出しでしたから、その住所を見て宝塚の高台のほうにある阪急の選手の自宅を片っ端から探していました。四番を打っていた長池さんの家だけが大豪邸で、それで自分も阪急に入ってこんな大豪邸を母親にプレゼントできたらと思ったんです。

だから僕は阪急に行きたかったわけですよ。それで甲子園で優勝できて、阪急のスカウトの方から話もいただいていたんですが、そこに近鉄も来た。阪急の条件以上です。結局、近鉄に決まったのですが(阪急と近鉄がドラフト1位指名で競合)、入団したらドラフト前の話とは全然違っていました。近鉄のスカウトにだまされました。「釣った魚には餌をやらんのじゃ」とマネジャーからはっきり言われましたから。寮に入ったんですが、誰も口をきいてくれないし、「金村を締め上げる」というチームまでできていました。鳴り物入りで生意気な新人が入ってきたということで、先輩からよくいじめていただきましたよ。体罰も普通にあった時代ですからね。特にパ・リーグはそうだったと思います。

 投手から野手に転向して、1年目から二軍で全試合に出場しましたが、ジュニアオールスターでたまたまサイクルヒットを打ったんです。それで先輩の風当たりが余計に強くなって、寮では僕だけいろいろなものを盗まれてね。嫌な思い出しかなくて1年で寮を出ることになりました。高卒のドラフト1位を1年で寮から出すって、そんな球団はどこにもないですよ。

 その後・・・

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