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80's ホエールズの記憶

シーズン盗塁188、3人で148盗塁の真実 スーパーカートリオの誕生【1985年】

 

「50個アウトになってもいいから100個走れ」。1985年春季キャンプ、新監督の近藤貞雄からの指示が高木豊加藤博一屋鋪要の3人に下された。彼らは「スーパーカートリオ」とも言われ、当時の“セ界”を足で席巻した。

右から高木豊、加藤、屋鋪。指は彼らの打順だ


最初はスポーツカー?


 1985年、59歳の近藤貞雄監督が大洋監督に就任した(同年10月で60歳)。81年から83年まで中日監督を務め、82年にはリーグ優勝。コーチ時代に継投野球をいち早く導入し、中日監督時代には攻撃的な選手たちでリードを奪った後、一気に守備的選手に交代させるツープラトンシステムを取り入れるなど、アイデアマンとして知られたダンディな指揮官だ。

 大洋は83年こそ3位だったが、その前の3年はBクラス、84年は、わずか46勝で最下位。はっきり言えば、“負け犬根性”が染みついていた。

 それでも近藤監督は、「中日監督を引き受けたときも、前の年は45勝。大洋のほうが1勝多い。ただ、確かに選手層は中日のほうが厚かった。だから僕は大洋に来たとき、少ないものをいかに有効に使うかがポイントだと思った」と自信たっぷりに話し、大胆なチーム改革を進めていく。

 最初にやったのが、春季キャンプでの内野のコンバートだ。ショートで83年まで8年連続ダイヤモンドグラブ賞(ゴールデン・グラブ賞)のベテラン・山下大輔をセカンドへ、セカンドの高木豊をショート、ファーストのレオンをサード、サードの田代富雄をファーストと、すべて変えてしまった。

 大きな話題になったが、近藤監督は・・・

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