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12球団FILE 80年代回顧録

タイガースOBに聞く80年代・山本和行「日本一の3年前くらいから手応えはあった。一度だけどいい経験をさせてもらった」

 

関西の雄・阪神は熱狂的なファンとメディアのはざまでお家騒動が絶えない。80年代も監督の電撃辞任や「アホやから」事件などが起こった。それでもチームはまとまり85年に21年ぶりのリーグ優勝と2リーグ制後初の日本一に。そのすべてをエース&ストッパーとして見てきた山本氏に語ってもらった。


80年前半はお家騒動続き


 1979年からブレイザー監督になり、チームのさまざまことを変えようとしていました。古い体質からの脱却ですかね、いい言い方をすれば。私はそのやり方に対し、そこまで違和感はなかったですね。もう何年も一軍でやっていたから、自分のやり方、方法を貫き通すという感じでした。

 何を変えようとしたか? まずは先発と中継ぎを分け、私は先発だけの投手になった。それまでは先発も、抑えもするなど、役割がはっきりしなかった。それを示してくれましたね。そのほかに例えば、投手はマウンドの上から下に向かって投げるのだから、遠投はその逆の体の使い方になる。だからやるべきではない、など、合理的なことを言っていました。私はそれに対して納得はしていましたよ。何せメジャー経験もあり、南海の野村(野村克也)監督の下でヘッドコーチなどをしていましたからね。その理論は「なるほどそうだな」と思っていました。

 しかし、監督2年目の80年。新人で入ってきた岡田(岡田彰布)の起用法を巡って、ファンとメディアの批判に遭い、辞任してしまった。ヘッドコーチだった中西太さんが代理監督になり、そのまま81年は中西体制で3位に入りましたけどね……。中西さんは豪快なイメージがあるけれど・・・

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