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12球団FILE 80年代回顧録

オリオンズOBに聞く80年代・水上善雄「名だたる選手ばかりで役割がはっきりしていた。ただ、残っているのは勝負どころで負けた悔しさ」

 

強肩を武器にした堅守と、一発を秘める意外性のある打力に手堅く犠打を決める。正遊撃手としてチームに貢献し、2度プレーオフに進出も、日本シリーズには一度も進出できず。悔しさが残る80年代。だが、名だたる選手の中でプレーしたことは、「プロの世界で生きた証」と言い切れる。


不安の中でスタートも


 こんなところで勝負するのか──そう思ったものです。というのも、入団したての1976〜78年は、現役通算400勝を挙げた金田(金田正一)さんがチームの指揮を執り、レギュラーを見ても、サードに有藤(有藤道世)さん、セカンドに山崎(山崎裕之)さん、ファーストにラフィーバー。ピッチャー陣も村田兆治さんを筆頭に、木樽(木樽正明)さん、成田(成田文男)さん、留広(金田留広)さん、八木沢(八木沢荘六)さんら錚々(そうそう)たるメンバーです。プロ野球のレギュラーは、こんな人たちがなるんだ、と思わずにはいられませんでした。私自身、大した選手ではなかったので、とてもじゃないけど自分がレギュラーになれるとは思っていなかったんです。

 そんな中で転機となったのが80年でした。前年(79年)に山内一弘さんが監督になられて、試合で使っていただけた。山内さんの戦力構想の中に入っていたのでしょう。(78年に)リーが入団し、打線はより強力になった。ピッチャー陣もそろっている。あとはショートをつくり上げれば、チームとして戦えるという算段だったはず。そんな中で私に目をつけ、抜てきしていただいたのだと思います。

 あとから聞いた話ですが、山内さんはエースの村田さんには言っていたそうです。「水上をショートで育てる。だから我慢してくれ」と。ただ、村田さんは「冗談じゃない!」と返したそうですが(笑)。そりゃあ、そうですよね。ピッチャーからすれば、打ち取った打球をエラーされたら、たまりませんから。自分自身でも分かっていました。

 だから・・・

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