週刊ベースボールONLINE

80's オリオンズの記憶

3度の三冠王獲得の衝撃 落合博満[元ロッテほか/内野手]

 

パ・リーグのど真ん中に君臨し続けた。82年に三冠王に輝くと、85、86年と計3度の三冠に。日本球界に衝撃を与えた打撃を、当時のコメントとともに振り返る。
写真=BBM

類まれなバットコントロールで、圧巻の成績を残し続けた


文句は言わせない


 伝説の序章は入団3年目の1981年だった。開幕時は七番も、その後に六番、7月22日には初の四番に座って4打数2安打。打率.340でリーグトップに立つと、最終的には.326で、初の規定打席到達年に首位打者に輝いた。

 だが、当の本人はそっけない。

「自分がゲームでヒットを打てばいい。数字は勝手に動き回るだけ」

 東芝府中から入団1年目の79年は山内一弘監督の打撃指導に対し、「ダメならクビでいいです。ほうっておいてください」と言い放つなど、打撃理論が合わずに二軍生活が長くなり、2年目の80年はオープン戦の守備で得津高宏と衝突。足のケガで出遅れたが、一軍57試合で、打率.283、15本塁打と、非凡な打撃センスを披露し、翌81年に首位打者を獲得──。その打撃は、すご味を増すばかりだった。

 プロ4年目の82年は、好調なスタートを切った。13試合を消化した時点で打率は.317。4月27日には.281まで落ちたが、ここから急上昇し、6月は3割4分台を続け、同17日以降は首位をキープ。10月を除く、月間打率はすべて3割以上とコンスタントに打ち続けた。

 だが、この年は率だけではなかった。後期に入ってから本塁打を量産し、7月7日の西武戦(平和台)で、東尾修から頭部に死球を受けて以後は、さらにバットに火がつき、翌日から3試合連続の5本塁打。開幕13試合を消化した時点で本塁打なしでトップと5本塁打差のスタートだったにもかかわらず、7月10日の2本塁打でリーグトップに。打点も8月4日の南海戦(川崎)で満塁弾を含む8打点と荒稼ぎ。打率、打点、本塁打の3部門でトップに立つと、本塁打は一時、日本ハムソレイタに抜かれながらも、最終的に再逆転して、史上4人目、最年少(27歳)での三冠王を獲得した。

「一番、うれしいのはやっぱり首位打者。打てば(率が)上がるし、打たなければ下がる。だから、素直に首位打者が一番欲しいと思っているし、獲りたいと思った」

 本塁打で三冠王を確定させたあと、こんなコメントを残しているが、シーズン最終盤の10月の8試合での打率は、.262と率を落とす一方で3本塁打。周囲が“三冠王”と騒ぐ中「ホームランよりも、とにかく(打率)4割打ちたかった」と話し、「これだけ低い数字でホームラン王になる選手もいないだろう」と、10月の低打率は三冠獲得を意識したものでもあったに違いない。

 2年連続での首位打者にして、史上最年少の三冠王。翌83年も・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング