1980年に長嶋茂雄監督が任を辞し、同年、王貞治が引退を決断、81年には新たなスター・原辰徳が入団するなど、ジャイアンツは転換期を迎えていた。翌82年、ドラフト1位で入団する長身快速右腕は、そんなチームに新たな風を吹き込むことになる。 可能性のあるチームに覚悟
私のジャイアンツ入団は1982年ですが、実家は愛知でしたけれども、テレビで見るのはドラゴンズというよりも、ジャイアンツ戦ばかり。ちょうど熱心に野球を見ていたころ、王(王貞治)さんがホームランの世界記録を塗り替えるという大偉業を手に汗握りながら見ていましたから、やっぱり、ジャイアンツファンだったわけです。80年は長嶋(長嶋茂雄)監督が退任し、その王さんが引退して翌年から助監督になり、81年に原(原辰徳)さんが入団してくるのですから、なにかV9とそれに続く時代から、大きくジャイアンツが変わり始めているな、と感じたものです。
私はプロでやっていくんだ、と思っていましたけど、「東京に出たい」と考えていましたので、ドラフトのときは在京セ・リーグを希望していました。地元のドラゴンズではなくてね(笑)。81年の秋のドラフトでジャイアンツに1位で指名されたときは意中の球団でしたから、非常にうれしかったです。
ただ、東京にあこがれがあったのに、入団会見の後、バスで施設見学に行くと、寮は(神奈川県の)川崎市で、しかもかなりボロい(笑)。練習場は多摩川の河川敷でしょ。あれ?プロって、こんなもんなの?とビックリしちゃって。ただ、二軍の試合でほかの球団の施設に行っても、80年代はみんな同じようなものでしたから、あまり気にしないようになっていたんですけど、今思うと、とんでもないですよね。今の選手たちは室内練習場も寮も充実しているし、恵まれている。僕らのころは狭いし、夏は暑いし、雨なんか降ると投手と野手は一緒にできないから、寮の玄関で腹筋運動。高校生と変わらないんですよ。プロ野球とはいえ、環境面ではまだまだだったのが80年代だったように思います。
入団した82年は前年、V9以来の日本一になっていて、投手では江川(
江川卓)さん、西本(
西本聖)さん、定岡(
定岡正二)さん、野手では原さんに中畑(
中畑清)さん、篠塚(
篠塚利夫)さん、捕手に山倉(
山倉和博)さんと、20代前半から中盤の方が多く、これからどんどん強くなるチームだろうな、と。そう感じると同時に、皆、若いですから、一軍に高卒の若造が入るスキなんて見当たらない。そんなに簡単に僕に一軍の出番は巡ってこないだろうな、と覚悟もしました。
ですから、入団1年目はとにかく・・・
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