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80's ドラゴンズの記憶

逆マジックが点灯した奇跡の大逆転ゲーム ナゴヤ球場が揺れた夜【1982年9月28日】

 

かつてこれほど中日ファンの心を捉えたゲームがあっただろうか。82年の8年ぶりの優勝は最終戦に勝利しての劇的Vだったが、この試合なくして栄冠はなかっただろう。土壇場で起きたミラクル。選手はもちろんファンも認める80年代の中日のベストゲームだ。
構成=牧野正 写真=BBM

サヨナラ打を放った大島(右)に田尾が真っ先に駆け寄る。ナゴヤ球場の盛り上がりは最高潮に達した


重過ぎた初回の3点


 中日の1982年が終わろうとしていた。9回表を終わって2対6。マウンドには天敵の江川卓がいた。今季ここまで28試合に登板して18勝10敗。中日戦に限れば7試合に登板して5勝2敗。5勝はすべて完投であり、うち3勝は完封の防御率1.35。その江川から1回で4点も奪って追いつくことなど不可能に近い。中日の敗戦は誰の目にも明らかだった。

 優勝への望みをつなぐ最後の直接対決3連戦、その初戦だった。ここまで巨人は123試合で64勝46敗13分の貯金18。対する中日は114試合で54勝41敗19分の貯金13。2.5差をつけて首位に立っていたのは巨人だった。しかし、試合消化数に加えて引き分けに差があり、巨人のマジックはなかなか点灯しないでいた。中日は巨人より10勝も少なかったが、5敗少なく、6引き分けも多かった。当時のペナントレースの優勝条件は勝利数ではなく勝率。2.5差とはいえ、中日にもチャンスは残されており、もしこの初戦に勝てばまだ1.5差あるとはいえ、2位の中日に逆マジック12が点灯することになっていた。

 ポイントは初戦だった。巨人が勝てば3.5差となり、中日にほぼ引導を渡すことになる。その役を担ったのが江川だった。前回の登板は一週間前の大洋戦(横浜)、中6日と万全のマウンドだった。中日は3点勝負と見ていた。江川から奪えるのは3点まで。それ以上はいかにも厳しい。

 中日の先発・三沢淳は初回、簡単に二死を取ったものの、篠塚利夫に中前に運ばれ、ホワイトを歩かせる。ここで原辰徳が左翼席へ放り込んだ。巨人にとっては歓喜の、中日にとってはあまりにも手痛い3ラン。3点勝負であれば、中日は初回にして早くも勝利の権利を失うことになった。

 勢いづく巨人は3回にも一死一、二塁から、ホワイトが一、二塁間を抜くタイムリーで4点目を奪う。続く原に四球を与えたところで三沢は早くも降板となり、中日ベンチには重苦しいムードが漂い始めた。3回までに4点を奪われ、マウンドには江川が仁王立ち。2日前の阪神戦(ナゴヤ)で執念のサヨナラ安打を放ち、この決戦にかけていた大島康徳が言う。

「スコアラーから(江川の)データは出るんですよ。打者ごとにね。でもやっぱり打席での感覚が一番なんですよ。江川は真っすぐとカーブだけ。それなのに(バットに)当たらない。すごい投手ですよ」

 そんなすごい投手の唯一の欠点は気を抜くことだった。4対0の4回にはモッカに、6対1の7回には大島に本塁打を浴びたが、どちらもソロ。得点差を頭に入れての配球だったに違いなく・・・

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