無垢な笑顔が象徴する楽しむ心。昨季の沢村賞右腕は、今なお野球少年の心を忘れてはいない。投手に専念した都城高1年秋──。森松賢容監督(当時)は“転機”に1つの試合を挙げる。 取材・構成=鶴田成秀 写真=BBM 野球が好き。とにかく楽しそう。由伸(山本由伸)を初めて見たときからの印象は今も変わっていません。入部初日は好きなポジションに就かせて練習させたのですが、彼はすぐにセカンドに入って楽しそうにノックを受けていたものです。
中学時代も投手をしていたそうですが三、四番手で本職は野手。打撃練習も大好きで、バッティングのセンスもありましたからね。ただ、入部すぐに彼のキャッチボールを見て、「この子は投手で育てたい」と思ったんですよ。もちろん球質なども目を引きましたが、立ち居振る舞いが投手らしいというか、相手のボールを受けてからの雰囲気に“投手らしさ”を感じたんです。カッコつけているわけじゃないけど、様になっている。そんな独特の雰囲気を感じたんです。
良いピッチャーになるし、育てたい。そう思ったものの、投手としては、すぐに公式戦に出すことはできない。入団時の最速は120キロ台前半でしたから。でも、試合に出したかった。夏の大会はやっぱり独特なので、あの緊張感を経験するか、しないかでは成長速度も変わりますから。だから、まずは野手をさせました。先にも言ったように打撃センスもありましたから、1年夏は三塁手で起用したんです。“三塁”を選んだのにも理由があって。彼独特の大きなテークバックは当時からのもので、少しコンパクトな使い方も身に付けさせたいと思ったんです。外野手では大きなテークバックは変わらない。かと言ってセカンドならコンパクトになり過ぎる。だから、一塁まで距離があり、なおかつ足、下半身を使って投げる必要があるサードを守らせたんです。
投手となったのは夏のあと。新チーム初日に由伸を呼んで伝えたんです。「今日から投手として練習しよう」と。「分かりました」とは言っていましたが、彼は打撃練習が大好き。投手メニューは走り込みが中心で、野手がバッティングの練習をしいている中で投手はグラウンド外周を走っていましたが、打ちたい思いは走る姿を見ればすぐに分かりました。後ろのほうを走って気持ちが入っていないのは一目瞭然でしたからね(笑)。寮に帰り、夜に素振りをしていたことは、知っていたんです。何も言わなくても・・・
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