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あの時代の記憶 恩師が贈る言葉

白石修二(川崎工科高野球部監督<現住吉高野球部監督>)が贈る 青柳晃洋(川崎工科高→帝京大→阪神)へのメッセージ 「OBの内(内竜也=元ロッテ)と会って、野球への取り組み方が一段上がった」

 

初めて会ったときには、ずば抜けた身体能力を持った投手ではなかった。精神面にしても普通の高校生と同じ。ただ違ったのは、強い体と努力を怠らない精神力があったこと。それがあるOBとの出会いでさらに磨きがかかった──。
取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM


 正直、初めて出会ったときには将来セ・リーグの最多勝投手を獲得する投手になるとは思ってもいませんでした。入学してきたときは最速124〜127キロくらいのサイドスローで、投げ方は現在とほとんど変わりません。ただ最初のキャッチボールを見たときに、これはいいぞ、打たれない投手になるぞ、という感覚はありましたね。

 1年の夏の大会は10番を着けてベンチ入りさせ、秋からはエースとしてマウンドを任せました。多分皆さん、少し前まで青柳はそこまでコントロールが良いほうではないという印象ですよね。たまに打者の背中に投げてしまったり、と(笑)。しかし高校時代は、コントロールは良かったんですよ。そこまで四球を出したという記憶もなく、まとまった投手でした。

 青柳の特長は何と言っても体が“強い”こと。3年生の春に一度だけ、肩に痛みがあり休養期間を設けましたが、それ以外でケガをしたという記憶はないですね。

 性格は当時から何も変わっていません。謙虚な感じで話をしながらもポツポツと偉そうなことを言っていました(笑)。練習試合で遠征に行ったときの試合後、相手チームがシート打撃をしているのを見ながら「僕たちにもあのような練習をしてください」と言ってきました。当時はグラウンド全面を使って練習できることは希でした。そういうことをはっきりと言える生徒でしたし、自分で考えて練習することも知っていました。当時から、本当に投げることが大好きで、こちらが制限しても投げるくらいでした。

 一方で・・・

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