どこにでもいる高校生が脚光を浴びた17歳春からの数カ月。心も技術も投手としての成長の糧となった2年春夏の甲子園は、浦和学院高・森士前監督にとっても大きな教訓を得た。ロッテ・小島和哉の涙には多くの思いが詰まっている。 取材・構成=鶴田成秀 写真=BBM キミが投げれば甲子園で優勝できる。入部当初に彼にそう言ったのは、もちろん、それだけのポテンシャルを感じたからです。キャッチボールの球筋、体の使い方。彼を見て、これは良いピッチャーになると感じたんです。私も長いこと監督をさせていただき、教え子も10数人のピッチャーをプロに送り出してきたので、見れば素質がだいたい分かります。中学時代は行田シニアでプレーしていたんですが、そこまで目立った存在ではなかったんですよね。これは隠れた逸材だなと思ったのをよく覚えています。
将来的にプロに行ける夢のある投手。そして、高校野球で勝てる投手。この2つがあると思っているんですが、彼は2つを兼ねそろえる投手でした。高校野球の2年と4カ月の間に、間違いなく勝てる投手になる。私は、そう思っていたので1年の夏からベンチに入れましたし、甲子園でも登板させました。
投げるボールだけではなく、普段の練習態度もそう。素直で真面目な性格で野球に対しては貪欲。マウンドに上がると勝気で負けず嫌い。そんな姿を見せてくれたので彼とはいろんな思い出があり、どれも胸に残っています。すべてが彼の物語をつくっていた気がしますが、始まりは2年春のセンバツでしょう。
結果から言えば、優勝を果たすわけですが、きっと、怖さを知らないまま最後まで勝った気がするんです。結果が先についてきてしまった。だから正直、優勝した瞬間に「まだ2年生。これからが大変だな」と思ったんです。ここから優勝投手というものを背負って戦わないといけない。その中で実力を発揮しないといけないわけです。怖さを知った中だったら、まだいいのですが・・・
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