週刊ベースボールONLINE

ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

連載ダンプ辻コラム 第122回「1対0と2対0のどちらがいい?」

 

横浜時代の近藤監督


ボートが漕げそう?


 ヤクルトの優勝が決まる前の日(9月24日)、大雨で神宮の外野が大変なことになっていましたね。フェンス際に水がたまって池みたいになって、ボートが出せそうでした。

 見ていて思い出したのが、阪神から大洋に移籍した昭和49年(1974年)暮れから住んでいた家です。あのときは大洋のヒゲ辻さん(辻佳紀)との交換トレードだったんですよ。ヒゲさんは阪神で一緒だった先輩ですが、昭和45年に近鉄に移籍して、49年の1年だけ大洋にいました。吉田(吉田義男)さんが阪神の監督になった年でもありましたが、吉田さんはヒゲさんと仲がよく、戻す約束があったようです。

 それで僕が交換要員になり「ヒゲ─ダンプ」の「辻─辻トレード」となったわけです。もちろん、語呂合わせで決めたわけじゃないですよ。このとき大洋の横田茂平社長は「内野手や外野手でもない。試合に出てない捕手をお願いします」と阪神に言ったそうです。これはもう、僕の指名みたいなもんですよね。なぜか知らんけど、横田さんは僕をずっと評価してくれていたようです。

 大洋時代も家族ともどもかわいがっていただき、時々、普段食べたことのないクジラのいろいろな部位のお肉もいただきました。ほんとおいしかったです。社長が亡くなったときには人生初めてでしたけど、葬儀で弔辞を頼まれ、ずいぶんびっくりしたものです。

 話を戻しますけど、川崎市の等々力にあった大洋ホエールズの合宿所横に外国人選手専用の大きな住居があって、それを借りることができました。もともとは立派な建物だったんでしょうが、すでにかなり古くなって、外国人選手も住みたがらず、空いていたようです。僕の家族は5人でしたが、広さは申し分なかったんですよ。古いんで隙間風がビュンビュン入ってきたり、等々力公園から砂埃(ぼこり)が飛んできて、容赦なく家の中に入ってきたりしましたけどね。

 雨のときもひどかった。家の前はグラウンドだったんですが、雨が降ったときなど、水たまりどころではなく、ボートを漕いで遊べるくらい雨水がたまっていました。そんな場所で4年間暮らしましたかね。

 5年目に引っ越して、今の家になりましたが・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング