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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

連載ダンプ辻コラム 第124回「僕が初めて家に招待した選手はラムさんです」

 

82年の1年で大洋を退団したM.ラム


僕が一面を飾った日


 ちょっと前だけど、日刊スポーツのヨネちゃん(米谷輝昭さん)から、この連載が100回になったとき、手紙が来たんですよ。昔から何だか気が合う記者さんでね。時々、僕の記事も書いてもらいました。今でも気がついたことがあると、すぐ電話をしています。今はプロ野球の取材はほとんどなく、神宮の大学野球ばかりみたいですけどね。

 封筒に入っていたのは、100回連載のお祝いの言葉と、昔の新聞のコピーでした。見出しは、「江夏、若さで“213球”」とあります(1968年の5月21日の日刊スポーツの一面)。(阪神時代の)江夏(江夏豊)が、延長12回を投げ抜いて大洋に勝った試合なんですが(川崎球場。もちろん、前日の20日の試合)、大きな写真に僕が載っているので記念に送ってくれたようです。一面になったことがなかったわけじゃないけど、マスクをかぶっていたり、ピッチャーの横で顔が見えんことが多い。そもそも、たまたま映っていただけというときがほとんどでしたしね。それが、この新聞は、はっきりマスクを取った顔が見えて、僕の「ファインプレー」と説明文も入っていました。

 しかもね、この試合で、僕はなんと決勝ホームランを打っていたんですよ。もっと言えば、僕が生涯で唯一予告ホームランを打った試合です。4対4で延長となった12回表でした。2アウトで僕に打席が回ると、顔見知りのグラウンドボーイから「ダンプさん、早く終わらせてよ」と言われました。ちょっとバタバタして長い試合になっていましたからね。江夏のいいときは12回投げても球数が200なんていかないし。それで、もちろん冗談ですが、「よし、任せとけ!」で思い切って振ったらホームランになったんですよ。相手は平岡(平岡一郎)という左ピッチャーでしたが、こっちがびっくりでした。

 裏の回を江夏が締めて5対4で勝利です。コピーの記事をじっくり読んだら、試合後の江夏がピッチング内容を聞かれ、「辻さんがすべて知ってますから」と言ったらしい。初々しいね、あいつもまだ(笑)。

 話を戻しますけど・・・

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