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決断の先に――セカンドステージの歩き方

岩田稔(元阪神) 個人事務所の社長として1型糖尿病の根治をめざす「自分が世の中を変えていくしかない」

 

今年も多くの選手が引退を発表した。第二の人生をどう進むのか。それぞれの道のりが気になるところだが、昨年引退し、新たな夢を追いかけ始めた男がいる。元阪神岩田稔氏だ。1月に会社を設立。個人事務所社長として歩む現在を語ってもらった。まずは元同僚、あの3人の話から――。
構成=佐井陽介(日刊スポーツ) 写真=阪神タイガース、BBM

失敗はあっても、「周りの皆さんに支えてもらい、夢を追い続けることができています」と岩田氏


こみ上げてきた3人の先輩の引退


 プロ野球界にとって、秋は寂しい季節です。今年も長年お世話になった先輩たちがユニフォームを脱がれました。中でも中日福留孝介さん、オリックス能見篤史さん、阪神・糸井嘉男さんの現役引退にはこみ上げてくる感情がありました。まずはこの先輩たちの話から始めます。

能見篤史のがむしゃらなチャレンジ

 4歳上の能見さんはタイガースで15年間もともに戦わせてもらいました。僕より1年早く入団された先輩。25歳と遅めのプロ入りだったこともあってか、何が何でも結果を出すんだと必死に練習する姿勢に、いつだって刺激をもらったものです。能見さんは2004年秋のドラフトの自由獲得枠入団。一方の僕は05年秋の大学・社会人ドラフト希望枠入団。いわゆる「ドライチ入団組」にしか分からない重圧を分かち合える先輩だったこともあり、ずっと背中を追わせてもらう存在でした。

 忘れられないのは僕がまだ入団1、2年目だったころ、能見さんが二軍でクローザーに挑戦していた姿です。当時は一軍先発ローテ枠を争う陣容が豊富で、おそらく能見さんは自ら居場所やポジションを見つけにいったのだと思います。生き残りに真剣な人にしかできないがむしゃらなチャレンジを目の当たりにして、「自分も負けてはいられない」と気合が入ったことを今もよく覚えています。

 能見さんがエース格になられてからも、同じローテの一員として「なんとか能見さんに食らいついていかないと」ともがいた日々は、今では良い思い出です。年上だからといって偉そうにせず、背中で引っ張ってくれる。そんな先輩だったので感謝しかありません。

福留孝介の立ち振る舞いとさりげない配慮

 福留さんとは実は09年WBCでも一緒にプレーさせてもらっています。僕らの世代にとって・・・

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