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追悼

追悼──村田兆治、剛腕一代 川崎球場のマウンドが誰よりも似合っていた男

 

ロッテ村田兆治氏が11月11日、自宅で発生した火事のため死去。72歳だった。座右の銘は「人生先発完投」。不器用なまでに自分の生き方を貫き、「昭和生まれの明治男」とも言われた。


 一時期、何か企画があるたびに兆治さんに取材をした。「フォークボール」「カムバック」「先発完投」。聞きたいことがたくさんあったからだ。

 耐震上の問題から川崎球場の取り壊しが決まったときもそうだ。2000年の3月26日、かつて川崎を本拠地とした横浜(現DeNA)-ロッテのオープン戦が最後のプロ野球の試合として組まれ、その前に兆治さんの話を聞こうと連絡をした。

 すると「そうか。NHKで同じような企画があって、今度、川崎球場に行くんだ。そのとき一緒にやろう」と言ってくれた。取材日は3月16日、北風が吹き荒れ、関東の広い地域に雷雨注意報が出ていた寒い日だった。

 兆治さんと一緒にロッカールームや食堂を回り、いろいろな思い出話を聞いたあと、一塁側のベンチに出た。雨は降りやまず、ベースとマウンドには青いシートがかぶせられ、強風でバタバタと音を立てていた。

「この球場で雨が降ると、あのときを思い出すな」

 1990年10月13日の西武戦、兆治さんの引退試合だ。あの日も雨が降っていた。前年は39歳にして最優秀防御率を獲得し、40歳となる90年もすでに9勝を挙げていた。まだまだ球速は140キロ台後半を記録し、魔球と言われたフォークボールも錆(さび)ついてはいない。「みんなからはもったいないと随分言われた。自分でもまだまだ勝てる自信はあった。でも・・・

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